世界最古の伝来の染織品は日本の上代裂(古代裂)である法隆寺裂といわれています。法隆寺裂は7世紀後半から8世紀前半のものが大半ですが(その後のものもあり)、法隆寺裂と上代裂の双璧とされる正倉院裂は8世紀中期以降のものなので、法隆寺裂は正倉院裂よりも約120年前のものとなります。悠久の昔の100年は同じように捉えがちなのですが、100年という年月は実はとても長いです。

 

奈良国立博物館の秋の正倉院展は大行列をなす人気ですが、あまり知られていないものの東京で正倉院の宝物より100年前の法隆寺の宝物をみることができます。

 

東京国立博物館法隆寺宝物館は1878年(明治11年)に法隆寺から皇室へ献上され、戦後に国へ移管された300件あまりの宝物を収蔵、展示しています。

 

法隆寺裂と正倉院裂は年代が一部年代が重なっていることと、皇室から法隆寺裂が献納された時にはまだ東京国立博物館がなかったため、法隆寺裂が正倉院に仮置きされることになり、1882年(明治15年)に博物館が完成し移送される時に、染織品が納められた唐櫃の一部を正倉院のもとと間違えて運んでしまったことがあり、混同されてしまいました@@;;

 

しかし2010年から行なわれている献納宝物の修理に伴って行なわれた調査の結果、染織品の技法と文様の違いから両者の判別が可能となったとのこと。量産や効率という概念なくつくられたもの、神仏へ捧げられたもの、その技法と文様、心魅かれる染織のその奥にあるものを知るうえで鍵となるような気がしています。それが知りたい(-_-☆

 

法隆寺館は飛鳥、奈良時代の息吹を感じることができるところ、まずはその背景から。

 

●法隆寺宝物の代表的な名品である灌頂幡と金銅小幡

灌頂幡は寺院の堂の内外を飾る荘厳具の一つ。大型で天蓋を持つものを灌頂幡といいます。古代の幡の多くは染織品ですが、これは銅板を透彫りし鍍金を施したもので、日本金工史上の最高傑作の一つです。

法隆寺館には複製もあります。

灌頂とは頭に水を注ぎ、仏の弟子としてある位に昇ったことを証する儀式のことです。


●飛鳥〜奈良時代の金銅仏

6世紀〜8世紀の仏教伝来のころの小さな金銅仏がズラッと展示されています。朝鮮半島の高句麗、百済で造られ日本へ持ちこまれたもの、鋳造技術を習得し日本で造られたものも。

 

●飛鳥時代の光背

いわゆる「後光がさす」の光を形にしたもの。

 

●飛鳥〜奈良時代の伎楽面

「伎楽」は「日本書紀」によると呉国の国王の血をひく和薬使主(やまとくすしのおみ)が、仏典や仏像とともに伎楽調度一具を欽明天皇に献上とありますが、演じられたのは推古天皇の御代に百済人味摩之(みまし)によって伝えられたものといわれています。752年(天平勝宝4年)大仏開眼で上演されたのが有名。

 

●法隆寺印と鵤寺倉印

701年(大宝元年)より官印が用いられるようになり官印に準じた公印として神社、寺院の印があります。

 

つづきます^^/

 

※東京国立博物館法隆寺宝物館では一般にも撮影が許可されています。ただしマナーとしてフラッシュはつかわない、シャッター音は控えるといったことを守りましょう。

 

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