衣紋道高倉流の「源氏物語・産湯鳴弦の儀」へ

 

「有職故実」を端的にいってしまうと、宮中にまつわる伝統的な行事、儀式、装束に関する知識というところでしょうか。現在の宮中行事においても衣紋道高倉流と衣紋道山科流の二家が並列して採用されています。

 

現在の皇室では「産湯の儀」は誕生後の御七夜の一度だけの行事となっていますが、平安期は御誕生後の七日間、朝夕二回「産湯の儀」が有り、読書鳴弦の儀があったのだそうです。

 

高倉流の「源氏物語・産湯鳴弦の儀」は、源氏物語「桐壺」より光君のご誕生の場面を再現。源氏物語の中ではあっさりと書かれていますが…、有職故実の世界を多くの方に知っていただくために、その中にはないお服あげの場面からはじまりました。

衣紋者が五衣唐衣裳や束帯をお服あげするところを、観覧席からみていただく趣向となっています。

裳をつけた五衣唐衣裳がつぎつぎと壇上へあがっていきます。

十二単というのは後世になって生まれた俗称のことです。十二単という名前から12枚重ねるものと思われがちですが、基本は8枚。重ねる打衣の枚数が5枚になったことから過「五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)」というのが正式名称となっています。

 

随身の褐衣の装束。随身とは近衛府の官人。大臣は8人、大納言は6人の随身を天皇から授かります。熊と獅子の蛮絵は、奈良時代は摺絵、後に型染め、今では刺繍でも表されます。あくまでも活動的に動けることを目的としてつくられ、冠は巻纓冠を固定する老懸(おいかけ)です。

足元は麻の脛巾を巻いています。

 

産湯の儀では漢籍等を読む役を務める文官がいます。漢籍等を読む読書の儀と鳴弦を行う儀式現在の皇室でも行われています。

産湯を使うときの魔除けとして虎の頭(実際は虎の骨でないかとのこと)や犀の角がつかわれました。産湯の桶につけ驚かせたのだそうです。

 

「産湯の儀」出産の際には、装いだけでなく部屋の室礼がすべて白一色となります。几帳だけでなく衣桁の木も白木に畳みの縁もすべて白一色となるのだそうです。

 

「鳴弦の儀」弓に矢をつがえずに弦を引いて音を鳴らして気を祓う退魔儀礼です。

平安時代から誕生儀礼としてはじまったとされています。天皇が入浴されるときや病気祓いなどでも行なわれる儀式です。ちなみに鏑矢を射る儀礼は蟇目の儀。

 

 「有職故実」の故実は過去の事実という意味があります。宮中行事には、装束、室礼、誰がどこに座るのか、ということの約束事があり、それらを事細かく記載し伝承している家がありました。衣紋道の家である高倉家はそのひとつです。

 

そして現在では広く門戸を開いて全国に道場を設け、衣紋道高倉流として活動しています。

 

装束は世界でも稀な華麗なる衣裳。その奥にあること(元々と現在)を正確に学ぶことは、日本の真髄を知ることでもあるのです。

 

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