3月3日は雛祭り。上巳の節句です桃の花

 

リアルお雛様ぼんぼり・・・?

 

古来の日本は左上位でした。

 

「天子南面に座す」という言葉があります。天から認められた統治者である天子(すなわち皇帝、天皇)は不動の北極星を背にして南を向いて座るのが良しという意味です。

そして天子からみると太陽は左の東から昇り右の西へ沈むことから、左上右下とされ、左上位の考え方となりました。

 

これは、着物の着付けの「右前」にも生きています。

 

なので雛飾りは本来は左側(向かって右側)が玉座となります。

 

明治になり西欧の王室流儀にあわせて、天皇陛下は右側(向かって左側)皇后陛下は左側(向かって右側)となったので、関東の雛人形はお内裏さまが右側(向かって左側)お雛さまが左側(向かって右側)で飾られることが多くなりました。ですが、関西では左上位の古来からの飾り方が、今も生きています。

 

左大臣と右大臣では左大臣が上位。帝からみて左側が左大臣、右側が右大臣です。

大臣となっていますが、武官束帯の闕腋袍、巻纓冠に老懸、胡簶に鷲の矢羽という、何かあったときに動けます!という機動力をあらわした武官束帯ですので、近衛中将と近衛少将ということになります。

 

武官束帯の闕腋袍、そして胡簶に鷲の矢羽。カッコイイ♡

 

白の小袖に赤の大腰袴の三人官女

江戸時代中頃になると、宮中の経済状況は大変になり、女房の装束は簡素化されます。天皇の御前にでる女官は、呼ばれたらすぐにいけるように、長袴に幅広の腰紐をつけて、肩で結んで形にしておいてすぐに袴に入って、御前にでられるようにしたことから、この形になりました。

三人官女に白酒をついでいただく♪

 

雛人形は上巳の節句が終わるとしまっておくものですが、かつては雛人形も夏の装束がつくられました。源氏物語や紫式部日記にでてくる「ひひな遊び」、ひひなと人形(ひとがた)の混同、それによって生まれたのが現在の「雛祭り」です。古代中国(三国志の魏の国)であった上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣の上巳の祓の考え方と日本古来のみそぎによる祓いの考え方、雛人形の起源となった人形はもともとは水に流して厄を祓う粗末な人形(ひとがた)でしたが、遊びに用いる華麗な装いのひひな人形(にんぎょう)が混同され、流し雛の風習や雛人形を飾る風習へと発展しました。

 

写真は2014年の衣紋道高倉流の上巳の節句のもの。

今年の上巳の節句のレポは後日に♪

 

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