日本は世界でも稀な多種多様な蚕の原種がある国であり生糸産業で近代化した国です。そして日本の民族衣裳である着物の多くは絹でつくられています。

蚕糸会館にて開催された「美しいキモノ•アカデミー」出張講座へ


染織•絹文化研究家の富澤輝実子先生による、日本の絹のお話。

仁徳天皇の后である磐之媛(イワノヒメ)の逸話からはじまりました。磐之媛は嫉妬深い后として後世に伝わっています。諸説ありますが、磐之媛が仁徳天皇の浮気に立腹し宮中を離れ、奴理能美(ヌリノビ)の元へいっていたとき、その理由とされたのが、渡来人である奴理能美が飼っていた糸を吐く大陸渡りの珍しい虫を見にいったというもの。この虫こそが蚕であった、という。※諸説あります

江戸時代は鎖国であったにも関わらず、中国(明•清)から絹糸を大量に輸入していて、絹のために大量の金銀が国外へと流出することに。正徳の治を行なった新井白石は国内での養蚕奨励の令をだし西陣へも日本の絹糸をつかうように提言しています。


明治維新後、日本は生糸によって外貨を得て富国強兵、近代化の道を歩んできました。しかし、第二次世界大戦後、日本の養蚕産業は日本人の着物離れによって急速に衰退し、さらに高齢者による引退がでる一方で新しく参入する者もなく、2013年(平成25年)の養蚕農家は全国で486戸。養蚕農家数、繭生産量はさらに半減し、現在の国産繭のシェアは0.7%に満たない状況です。


蚕糸絹業提携グループ連絡協議会による試作品事業をおこなったのは京都の伊と幸。
福島の養蚕農家、現存最古の山形の製糸会社、夏生地の織りは新潟の五泉、染めは京都。それぞれの解説もありました。詳細は美しいキモノ2017年冬号をぜひ。


2020年の東京オリンピックという世界の晴れ舞台には、純国産の日本の絹で!というプロジェクトの一環。オリンピックは真夏に開催される予定ですので、求められるのはやはり夏の着物。表彰式のプレゼンターが着るための夏の振袖の試作をつくり、日本人と絹の歴史と共にその解説という講座でした。


デザイナーはターバン姿がトレードマークでいらっしゃる、ブライダルファッションデザイナーの桂由美先生。

パリの洋裁学校で学び日本人の97%が神道での結婚式だった時代にウエディングドレスをつくりブライダルファッションショーを開催し、まさしく日本のブライダル業界を牽引されてきた方です。

1981年のイギリス王室のチャールズ皇太子とダイアナ妃のロイヤルウエディングは日本人に多大な影響を与えることになり、教会でのウエディングドレスの結婚式が増え、1993年には式服がウエディングドレス、お色直しで和装と逆転することに。和装は日本髪と白塗りの化粧をし…とお支度に時間がかかりすぎることから、打掛に似合うのは日本髪ということは当たり前でわかっているけれど、あえて、日本髪と白塗りの化粧をやめるというという決断をされたのだそう。それをやめたら着物は残る…と思われたとのこと。

先月パリで開催されたコレクションのテーマは「若冲を着よう」
コレクションの映像を鑑賞しながら解説くださいました。これがどれもとても素敵でした。若冲の蛸や群鶏、壇特がデザインされています。西陣の織りのものもあれば、友禅も。10着以上のものはインクジェットをつかわれているとのこと。


農業生物資源研究所まで自ら出向いて、光るクラゲのオワンクラゲの遺伝子を蚕に取り込んでつくられた光るシルクをつかってつくりあげたウエディングドレスのお話も。なんとウエディングドレス1着をつくるのに4万個の繭が必要だったのだそう。

桂由美先生は着物も大好きで和洋両方を想っているとのこと。その中で「日本人に似合うウエディングドレスをつくりたかった」とおっしゃっていた回想の言葉には胸を打たれました。やはり先陣を切って進まれる方は素晴らしい。

富澤先生と桂先生の中々良い笑顔のツーショット♡


大日本蚕糸会の蚕業研究所では、蚕の種の保存のために毎年1000種の蚕を孵化させているのだそう。


講義には政治家の方々もいらっしゃっていました。
東京オリンピックという大きな事業にはこういった方々のお力が必要なのでしょうね…(^_^;)

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