古代織産地連絡会の阿波の国への旅レポ再開します。

 

楮布(かじふ) の石川文江さんの工房へ / 2016年晩秋 徳島•阿波太布染織の旅 その3 

のつづき(^_^)/


初日の夜は勉強会と懇親会がありました。

開場は宿泊先のホテルクレメント徳島の宴会場。結婚式のようなキラキラ感でちょっとびっくり(^_^;)

 

阿波忌部の研究者でいらっしゃる林博章先生による「阿波忌部と織物」のお話

 

忌部(いんべ)とは、穢れを忌み浄めるための集団という意味。古代から朝廷の祭祀を担当。阿波忌部は大和王権の立役者でもあり、日本各地に麻、穀(かじ)、を植え、農業、養蚕、製紙、建築などの技術を伝播させた技術集団でもある。古代は阿波と大和が深くつながっていた。

 

阿波の国神である大宜都比売神(オオゲツヒメ)は、伊邪那岐命と伊邪那岐命の間に生まれた食物の女神。「古事記」の中で五穀と養蚕の起源の神として登場。須佐之男命に殺されたときに、大宜都比売神から、蚕、稲、粟、麦、小豆、大豆がでてきたという。大宜都比売神と伊勢神宮外宮の豊受大神は同一神であり、外宮の神官渡会氏は忌部氏の末裔となるのだそう。

「古語拾遺」によると、阿波忌部氏は黒潮にのって房総半島へやってきて、麻や穀を蕃殖させ産業を広げていく。麻は古語で総(ふさ)。安房、上総、下総という地名の起源となっている。関東の酉の市は阿波忌部のつくる麻の織物を着て纏った祭祀がはじまり。

阿波忌部は自生する照葉樹林の樹皮から巧みに繊維を取り出して、木綿(ゆう)、太布、大麻織物、そして荒妙、白妙をつくっていた。

織物という産業はすなわち農業でもあり、伝播の鍵となっているのが、阿波の地形から生まれた剣山系の急斜面地農業である。

 

古からの歴史をもつ、剣山系の伝統織物である「太布」、そして「荒妙」については、後日にさらに学びましたのでまとめます。

 

懇親会では、参加者の方によるケーナの演奏も♪

フォルクローレの旋律が旅の雰囲気を盛り上げてくれましたヾ(@^▽^@)ノ

 

私のお隣から、葛布の村井龍彦先生、芭蕉布の平良美恵子先生、阿波忌部研究の林博章先生、地域農林経済学会の野田靖之先生とカメラ

ぬぬパナのつくり手でもある、和棉の永井泉さんとカメラ

 

懇親会でご紹介したかったのが、大麻糸の家紋刺繍。

織りあげられた布ではありませんが、樹皮繊維から人の手によって取り出され手間をかけ美しく引き出された糸です。布オタクの皆さまに無事にお披露目できました♪

 

つづきます。

 

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