「拝啓 ルノワール先生 ー梅原龍三郎に息づく師の教えー」が三菱一号館美術館にて開催中(〜 2017年1月9日まで)

 

梅原龍三郎は1888年(明治21年)京都の悉皆屋に生まれます。悉皆とは「悉く皆(ことごとく皆)」という意味で、着物をつくるときの、白生地から意匠図案、染め、刺繍、などを専門職に分配し取り仕切った仕事。分業制の京都の染めでは、かかせないものでした。そして悉皆業の後を次ぐことはなく地元で洋画を学び、1908年(明治41年)にパリへと留学します。船旅で60日間の渡航だったそうです。

 

パリのアカデミージュリアンという美術学校へ通い、翌年にはアポイントも紹介もなく突然ルノワールを訪ねます。ルノワールに弟子入りした理由は、ルノワールが人気作家だったから…だそうで、当時、印象派の巨匠として名の知られたルノワールのアトリエには世界各国から様々な人が訪れたようです。

 

その頃のルノワールと梅原龍三郎とのスリーショットカメラ

 

梅原龍三郎が帰国する際に、ルノワールかた贈られたルノワールの作品「バラ」。

この展示会では、梅原龍三郎が所蔵し寄贈したものには、キャプションに梅の花のマークがついています。

師であったルノワールへの想いとこだわりは額装にも。バラの画にあわせた、バラの裂地の額装にはセンスが光ります。

※こちらのアップの写真は、別途に許可をいただきました。

 

梅原龍三郎の旧蔵品コーナーは、宝石箱のよう

 

梅原龍三郎のダイナミックな表現とルノワールのボワーッとした優しさに、あまり師弟関係の接点を見出せないのですが、影響そのものはゴッホやルオーなど様々な作家のものを受けていたようです。

 

梅原龍三郎の作品

 

ルノワールの作品

 

ルノワールのブロンズ像

それを描いた梅原龍三郎

 

ルノワールの描いた「パリスの審判」

梅原龍三郎が描いた「パリスの審判」

 

この展覧会は、梅原龍三郎の曾孫さんの協力があって実現したのだそうです。梅原龍三郎の遺品の中から日記を発見し、それによってわかったのは、ルノワールと梅原龍三郎の師弟関係は一方的なものであったということ、でも二人の作品はやはりシンクロしているということ。 

梅原独特のこのダイナミックさは、やはり面白いです。

 

三菱一号館美術館は建物も素敵です。

美術鑑賞としての導線は階がわかれていることもあって面倒なのですが、夜も良い雰囲気です♡

※ 三菱一号館美術館×青い日記帳 ブロガー内覧会にて撮影させていただきました。

撮影及び「きものカンタービレ♪」への掲載許可をいただいております。

 

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