祇園祭(7月14日) きもの文化検定 川島織物•織物文化館見学♪ / 2016年祇園祭 その10 のつづき

川島織物を後にして、お料理屋さんでランチをいただき、菊水鉾へ向かいます。ランチの後、バスに乗ったら突然の大雨雨 これは大変なことになるかな…と案じましたが、四条烏丸でバスから降りた途端に小雨に。菊水鉾の駐車場で、菊水鉾の歴史、懸装品についてのお話をお聞きし、会所の拝観券とお茶券をいただいて、きもの文化検定の工房見学会はひとまず解散。振興会の皆さまありがとうございました!

私は一旦ホテルに戻ることに。祇園祭の京都はきものよりも浴衣のほうが過ごしやすいことが体感できたので、これから祇園祭の長い夜に向けて、チャチャッと浴衣に着替えました。ホテルが近くて重宝しました♪


菊水鉾はこの町内の金剛能楽堂に古くからある「菊水の井」という井戸が由来。1864年(元治元年)の蛤御門の変で鉾を焼失してしまいます。数々の懸装品は隣の山伏山に、鉦は函谷鉾、鶏鉾、月鉾へと譲渡されたようです。1952年(昭和27年)に88年ぶりに復興。その後、懸装品は山鹿清華、皆川月華、皆川泰蔵などの昭和の作家で揃えられることに。

菊水鉾の稚児人形は菊丸。菊つながりということでしょうか、能の枕慈童です。魏の文帝の頃、勅使が酈縣山の麓から涌く霊水の源を探しに行くと菊の花が咲く山の庵で少年と出会います。その少年は周の穆王に仕えていたというのです。周 というのは遥か昔の国(紀元前11世紀~紀元前256年?※諸説あり)の700年も昔の国のことでいぶかしむと、少年は周の穆王に仕えていたが、王の枕を またいでしまったことから、罰としてこの山に配流されたとのこと。でも少年に悪意のないことを知って憐れんだ王が、その枕に法華経の二句の妙文を書きそえ て少年に与えました。その文字を菊の葉の上に写して書くと葉の露が霊薬となって少年は700年も不老長寿のままだったというお話からきています。

菊水鉾のお茶席は13日〜16日。その日によって流派が違うのだそうです、お茶席は巡行中の辻廻しの時にも荷ない茶屋にて、町役の人にお茶がふるまわれます。しかしそれによって巡行が遅れることなどもなく手慣れたものなのだそう。

菊水鉾町内の亀廣永の「したたり」。菊の露を飲み長寿を保つという故事にちなんで付けられました。

黒糖が効いていてかなり甘いのですが、お抹茶が美味しくいただけます♪


菊水鉾の会所拝見と鉾搭乗

菊水鉾の特徴は、唐破風の屋根とその軒先に下がる翠簾です。極彩色の鳳凰飾りが華やか〜キラキラ

そして、鉾には赤い薬玉の房がついています。

天井画は墨で描かれた龍。

菊水鉾はさまざまに雅やか。

音頭取りの団扇が菊の葉の形をしていて、これがまたカッコイイのです。巡行レポで。


祇園祭…といったら、八坂神社です。つぎは、八坂神社へいきます!

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