2016年6月9日は旧暦の端午の節句です菖蒲 あやめ

端午とは端(はし)の午のこと。元来は月はじめ(端には始まりという意味合いもあり)の午の日のことでしたが、午は五と音が通じることから毎月5日のこととなり、のちに奇数月と同じ日が重なる日を特別な日と考える中国の重日思想と、田植えの前に女性だけが家に籠もり身を清める日本の五月忌みの風習が 結びついたのが、端午の節句の始まりといわれています。端午の節句に鎧兜を飾るようになったのは鎌倉時代。旧暦では端午の節句は現在の6月頃になり (2016年は本日!)、この頃に甲冑の虫干しをしたこと、そしてこの時季に咲く菖蒲の花と尚武をかけて男児の節句として定例化したのだそうです。

端午の節句につかわれる、尚武にちなんだ菖蒲(サトイモ科)と花菖蒲(アヤメ科)と杜若(燕子花)は全く違う植物です。菖蒲には食欲増進、疲労回復などの薬効成分があり、菖蒲湯は冷え性にも効果的といわれています。この薬効成分が邪気を払うとして古代中国の浴蘭節につかわれたのが、菖蒲湯の始まり。花菖蒲には薬効も香りもありません。ですが、菖蒲の花は余りにも目立たないので、←蒲(ガマ)の花に似ています
菖蒲に草姿の似ていた、湿地に咲くアヤメ科の花を花菖蒲とし、端午の節句の花としたようです。
平安後期から鎌倉期の和歌集には「はなあやめ」という表記があり、(漢字だと「花菖蒲」)、最古の花伝書といわれる室町時代の仙伝抄にも「五月五日のしんにははなしゃうぶ」とあるので、端午の節句が一般に普及する江戸時代中期(元禄期)以前には混同していたものと思われます。平安末期の甲冑などにみられる菖蒲革のモチーフは花菖蒲です。
よく混同される杜若は昔は杜若の花の汁を布に押し付け染めたので掻付花(カキツケバナ)と呼び、それが転じて杜若(カキツバタ)となったそうです。 燕子花と表記することがあるのは、花の姿が燕が飛んでいるようにみえることから。花菖蒲よりも開花時季は早いのですが夏の意匠としてつかわれることが多いです。


先日開催された衣紋道高倉流の端午の節句会は、仙石宗久宗会頭より武士の嗜みとして「馬」についてのお話がありました。日本古来の馬から馬具、そして和式馬術について。

江戸時代後期の位の高い武士の和式馬具。

乗馬をされる方ならおわかりになるかと思いますが、西洋馬術は左側から騎乗しますが、和式馬術では右側から騎乗します。これは武士は腰に刀をさしていたからだそうです。時代劇などでは西洋馬術と同じく左側からの騎乗シーンもありますが、おそらく帯刀していたらやりにくいのではないかと…(^_^;)

鞍、面懸(おもがい)、胸懸(むながい)、臀懸(しりがい)、轡(くつわ)、鐙(あぶみ)、泥障(あおり)など、貴重な和式馬具一式を拝見することができました~ヾ(@°▽°@)ノ

素晴らしい蒔絵の鐙

現在の和式馬術ではつかわない泥障でしっかりとガードされていました。鶏と雛の泥障とは…、珍しいですね。

鞍の装飾も素晴らしい~。


葵祭の近衛使代の馬は唐鞍で飾馬といわれ、銀面をつけ輪鎧を用いて尾袋をつけ唐緒に結ばれています。


こちらは走馬の儀の馬


鎌倉時代~江戸時代の戦乱の世で馬具は実用品であり武士の誇り。江戸時代になると様式美として芸術品となり有職故実の対象となっていったとのお話でした。




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