めゆ工房 泥染と黒八丈 樺染と蔦八丈 / 2015年初秋 八丈島の旅 その11  のつづき(^-^)/

八丈島の滞在中に見たかったもの♪
それは、黄八丈を着て踊るという、樫立踊りビックリマーク


服部屋敷跡にて朝10時から開催されているとお聞きしていたのですが、夏休みなどの観光シーズン以外は、常にやっているわけでなく、踊ってくださる方を手配していただく事前予約制。団体予約可能、個人の場合は要相談となっています。
今回は現地の方のご好意で、個人的にご手配していただけることになりました~ヾ(@°▽°@)ノ♪

服部屋敷は御船預(おふねあずかり)の三家の一つである服部家の屋敷跡です。
八丈島は1604年(慶長4年)に徳川幕府の直轄地となると、年貢の代わりに定められた貢納布として絹織物を収めることとなり、黄八丈を将軍家に献上しました。貢納布の黄八丈を江戸へ運び、帰って来るときには注文の柄見本や米、木綿、生活用具などを持ち帰ってきたのだそう。ときには流刑囚も。その黄八丈を江戸へ運ぶ御用官船を預かっていた大山下家、服部家、笹本家の三家を御船預(おふねあずかり)といいます。

樫立踊りは、流人や漂流人、江戸と八丈島を往復した御用船の乗組員によって伝えられた各地の唄や踊りを八丈島の人が八丈島の盆踊りに綴れ合わせたものなのだそうです。

あいこ節、藤次郎甚句、平潟節、平潟くづし、かんとう屋、伊勢音頭、とのさ、おけさ、土佐くどき、やりくどき、好比の節、芸州節の12種類。手踊りというのだそう。

どこかで聞いたことがあるような…。

流人が故郷の唄や踊りを伝えて伝承されてきたからでしょうか、哀切もあり、どことなく懐かしい。

民謡の歌詞はよく聞くと、染織の話もでてきます。それだけ昔は生活に密着したものだったのですね。
手踊りは、各地の民謡が組曲のようになっているので、ある面では染織組曲…?この辺りも探ったら面白そうですね。


八丈太鼓にも流人の望郷の想いが伝わっているとか。

下拍子にあわせて自由に叩いている感じ。島人らしい力強い音ですが、どこか物悲しいようでもある。
何となく、佐渡島を思いだしました…。


♪~沖で見たときゃ鬼島と見たが、来てみりゃ八丈は情け島 ショメショメ~♪
ラストは私たちも壇上へ。踊り苦手なんですが…^^;

八丈島は女護ヶ島、青ヶ島は男島といわれます。南風の吹くころに男たち青ヶ島から八丈島へやってくる。女たちは紅色の花緒の草履を浜辺に用意して男を待つ。そして自分のつくった草履を履いてくれた人と一夜を共にしたそうな。女の子が生まれると八丈島、男の子が生まれると青ヶ島へ送ったという。
♪~南風だよ皆出ておじゃれ 迎え草履の紅花緒~ショメショメ~♪
八丈島滞在中に何度もお聞きした、野口雨情の唄もショメ節になっていました。ショメ節は即興なのだそう。黄八丈を着た島人の皆さまの足元は、紅色の花緒。


真ん中で黄八丈を着こなしていらっしゃる方は、八丈島の山下織物で借りられた黄八丈のきものと帯の装い。大きく結い上げた茶色がかった髪型に、山吹色の黄八丈がとっても良く似合ってる~恋の矢
山下織物では黄八丈のきものと帯のレンタルをされています。産地で産地のきものを着ることができるって素晴らしい試み、各産地でやって欲しい~ヽ(゚◇゚ )ノ

私は暑さに負けて黄八丈の里帰りを諦め、黄色の琉球壁上布の装い。せめてもの黄色つながり…?
次回はぜひ黄八丈を里帰りさせてあげたいですね♪


八丈島の旅レポ、まだつづきます~(^-^)/

※明日はきもの文化検定の試験日ですね。
日々の学びの成果を遺憾なく発揮されますように♪
そして、くれぐれも時計はお忘れなく!

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