旧岡谷上水道集水溝へ そしてカモシカに出会う / 岡谷近代化産業遺産群巡り その3 のつづき(^-^)/

●鶴峯公園●
このこんもりした樹木はすべて躑躅ですつつじ

「貸さない、売らない、壊さない」の方針を貫いて富岡製糸場を世界遺産登録にまでもっていった片倉工業の前身である片倉組(片倉財閥)の創業者である片倉兼太郎は、学校教育を受けず働く従業員の多さに憂い、1917年(大正6年)この地に市立片倉尋常小学校を創立しました。

昭和になってから公園として整備し河岸村(現岡谷市)に寄贈します。そして長野県下で一番の村役場庁舎が建てられました。その際に庭に躑躅(つつじ) を植えることになり、当時村長代理助役であった宮澤源勇は、業者に指二本を立てこれくらいと発注したのだそう。この指二本は軽トラック2台(300株)の つもりだったそうですが、業者側は長野県下一の役場であり、何より「片倉様だから…」ということで、貨物2台と解釈し、3万株の躑躅を届けたのだそうです (-_\)(/_-)三( ゚Д゚)
大量の躑躅に村中が大騒ぎ!しかし返品もできず、村の有志で植え込んだのだそう。

その結果がコレヾ(@^▽^@)ノ

今では中部日本で一番の躑躅の名所となっています。

公園内にある片倉兼太郎の銅像
「片倉様だから…」という誤解から今でもたくさんの人を楽しませてくれています。

のちに河岸村と岡谷市は合併します。宮澤源勇は村に貢献したと讃えられ碑が建てられました。
発注ミスから生まれた名所というのが面白いですね♪
当時の製糸業の隆盛が偲ばれます。



●成田公園●

岡谷の市街地が見渡せる成田公園は女工さんたちの憩いの場だったそうです。

かつてはこんな風景。繭倉庫が立ち並び製糸場の煙突から煙がでています。

今は樹木に覆われてしまってわかりませんが、煙突はないので景観が全く違って見えますね。

1885年(明治18年)に地元の有志によってこの地の山の神の祠の近くに不動尊石像が祀られたのがはじまり。諏訪の神が祀られる所には御柱が立っています。

後に不動明王が迎えられ、参詣者で賑わったのだそうです。

黒沢鷹次郎は明治~大正初期の銀行家。
第十九銀行の頭取であった黒沢鷹次郎は当時の常識を破って原料繭担保の融資で製糸業を支援。
債権となる繭の品質向上と保全のために繭倉庫をつくり岡谷の製糸業の発展に力を尽くした人物です。


工房見学も面白いですが、歴史的背景がある産業遺産巡りも楽しい~♪

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