衣紋道高倉流たかくら会の七夕の節句行事へsei

七夕の節句にちなんで、7人の装束をまとった女性が登場しました。
高倉流宗会頭の仙石宗久先生のお話からまとめましたφ(.. )

●片身代わりの水干と長袴の白拍子
立烏帽子に水干という男装です。白拍子という曲にあわせて舞ったことがその名の由来。
本来は白の水干です。(白拍子は庶民の女人であり庶民は織物や色の染めものがつかえなかった)

日常着である水干や狩衣は有り合わせのものでつくられることがあり、
それが習慣化して片身代わりの装束となることがあったのだそう。
この水干はこちらの水干は錦と精好の片身替わり。オシャレですね♪


●平安期の十二単(五衣唐衣裳)
十二単というのは後世になって生まれた俗称。
十二単という名前から12枚重ねるものと思われがちですが、基本は8枚。
重ねる打衣の枚数が5枚になったころから五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)といわれます。
十二単という言葉がでてくるのは「源平盛衰記」の中で、壇ノ浦に身を投げる平清盛の娘であり
安徳天皇の母である建礼門院平徳子の装いが「弥生のころなれば藤がさねの十二単を召されたり」
とかかれているのが最初とのことでした。


●細長の夏の装束
女児の装束とされていますが、婦人も着用したといわれています。
特徴は袵がないので身幅が狭いということ、これは両脇があいている闕腋になっています。
現在は未成年の皇族が女性用の細長をお召しになります。

夏の装束の素材は精練されていない生絹(すずし)。単とは穀織です。


つづきます(^-^)/

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