丸山伸彦先生による「小袖の形態変化」のお話

小袖について。
現在のきものと江戸時代後期の小袖の形はほぼ同形であるが、近世初頭の小袖の形態は大きく異なっていた。室町期には左右対称で模様で埋め尽くすものだった装束が、桃山時代に決算期を迎える。
小袖が下着であった時代は意匠は男女で明確な違いはなく肩裾形式や段替わりの構成。

小袖の仕立てがどうなっているのか、厳密に知るには初な資料(仕立て直しがされていない)が必要となる。
現存のものは仕立て直しがされているものがほとんどであり、そこから検証しなければならない。



現存最古の仕立て直しがない小袖の遺品。
「白練緯地花花鳥模様辻が花小袖」 室町時代

※練緯の生糸の小袖は練っていない緯方向に亀裂が走っているのがわかる

こちらを実測し裁断図にしたもの。
身幅は38cmもあるのに対して袖幅は21.5cm。裾周りは200cmを超えている。
身幅と袵幅が広いのに対して、袖幅は極度に短い。立褄は短く襟先の位置はかなり低い。


「花下遊楽図屏風」狩野長信筆 (部分) 桃山時代
実際の着姿がどうなっているのかは絵などで判断するしかない。
小袖を固定するのに紐がつかわれている。


「湯女図」 江戸時代初期
ボディラインがはっきりとでていることから、従来の仕立ての可能性あり。
湯女というのがリアリティがある。


「男女遊楽図」
襟先が長くなり身幅は細く丈が長くなっている。
短期間で変化があり先駆的な装い。


1650年(慶安3年)「女鏡秘伝」によると、「小袖を仕立てる時は充分に注意をしなければならない。身幅が広いと見栄えがしないので少し小さめに仕立てることが大事。身丈は長い方が良く短いと下品」とあることから、身幅広く、袖短く、立褄低い → 身幅細く、袖長く、立褄高く と変化したことがわかる。

そして、生地幅の変化に伴って、反物の裁断の仕方について、袖と襟の裁ち方が代わり、現在のきもののようになったことがわかる。

これらは、美の基準の変化とともに起こる。

公家階級の下着であった小袖が表着として着られるようになる。→形式昇格と表衣脱皮
室町時代は意匠は男女で明確な違いはなく肩裾形式や段替わりの構成。
小袖中心の衣生活が一般化すると、男女の性差をつけるために文様の変化が起こり、江戸時代の慶長年間を境に激変し左右比対称になっていった。直線裁断であり加飾面の広い小袖は文様表現の格好な場であり、多彩な文様が展開するようになっていき、現在のきものに至った。

現在のきものの真の形がみえたようなまとめでした。