夏の終わりに訪れた、新潟県南魚沼市にある雲洞庵のレポです(^-^)/


上杉景勝と直江兼続が幼少期に勉学を学んだといわれる越後の国の名刹、雲洞庵。

2009年NHK大河ドラマ「天地人」の中で、樋口与六(後の直江兼続)の
「わしはこんなとこ、来とうはなかった!」の名台詞ですっかり有名になった禅寺です。
当時、大河ドラマ効果で大大大混雑だったそうですが、今はひっそりとしていました。

「雲洞庵の土踏んだか」

「雲洞庵にて禅を学ばなければ一人前の禅僧とはいえぬ」ということから、
修行僧同士がお互いに確認し合った合言葉が起源。

赤門から本堂までの石畳の下には、法華経を一石一字づつ記した経石が敷き詰められている
ことから、参道を踏みしめてお参りすると罪業消滅、万福多幸のご利益があるといわれています。
清々しい空気が通る、立派な杉並木~杉


雲洞庵は藤原房前の母が庵を結んだことが開祖と伝えられています。
701年(養老元年)に藤原房前が母の菩提を弔うために創建し、室町時代に
関東管領であった上杉憲実が藤原氏末裔の縁で曹洞宗の寺として開創しました。

本堂は上杉憲実によって建立された後、江戸宝永年間に出雲崎の大工群に再建されたもの。

古代よりつづく日本海文化建築の最終到達点のひとつといわれているそう。

本堂の欄間彫刻は見応え有り。


本堂内陣。襖には唐代の禅僧が描かれていました。


こちらは幼少期の上杉景勝と直江兼続が当時の住職であった北高全祝と通天存達
から学んだとされるお部屋。
柱が天井までつきでていない造りは大方丈といわれる禅宗書院造りの最高格。


廊下から眺められる庭園では初夏には水芭蕉が咲くそうです。


三方が突抜の窓になっている客殿

客殿からみた観音堂と回廊の眺め

反対側からは直江兼続の居城であった坂戸城趾がみえました。


宝物殿へ
若冲の掛軸や謙信公の馬具などが展示されています。

藤原房前所縁の品と伝わる品。

上杉家の家紋である竹に二羽飛雀。
藤原房前の藤原北家が源流の勧修寺一門の紋です。

上杉景勝、直江兼続、武田信玄、武田勝頼からの書状なども残されていました。

※寺院及び宝物殿での撮影と「きものカンタービレ♪」への掲載許可をいただいております。

緑が生い茂る中の参拝もいいですが、いつか雪の静寂の中、訪れたいです…。


幼少期、雲洞庵で学んだ直江兼続は戦乱の世で疲弊した越後の立て直しに、
田畑の開墾の他に苧麻(からむし)を栽培し越後麻布の生産を奨励します。
兼続が領民のために記したとされる「四季農戒書」には、
正月には糸をつくり、苧をひねり、きものをつくるべしと、
農閑期の麻布生産をすすめています。
越後から会津へ、そして関ヶ原の戦い後、会津120万石から米沢30万石へと大幅な減移封と
なりますが、「人こそ組織の財産なり」と称え、人員削減をせず財政難を乗り越えます。
米沢で、桑や苧麻そして紅花の生産を奨励した兼続の政策は、後の上杉鷹山に
受け継がれ、現在の米沢織につながっていきます。

というわけで…、(ではないのですが…)←もともとの予定+色々
米沢へいってきます。
現地からはfacebookページと「なう」でリアルタイムレポします(^-^)/

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