涼やかな秋の風に虫の音お月見
今年の9月は過ごしやすいですね~♪

今日は重陽の節句。
9月2日に行なわれた衣紋道高倉流の重陽の節句レポートです。
宗会頭仙石宗久先生とカメラ

床のお軸は有栖川宮威仁親王殿下筆
「山人の 折る袖にほふ 菊の露 うちはらふにも 千代は経ぬべし」(新古今和歌集より)
藤原俊成(定家の父)が後鳥羽天皇の妃の入内に詠んだ歌です。
有栖川流の書は、高松宮宣仁親王妃喜久子さま(お母さまは有栖川宮威仁親王の次女。
お爺様は徳川慶喜公)から常陸宮華子さま、現在は秋篠宮文仁殿下に受け継がれています。


菊は奈良時代末期に唐から伝来し、当初は薬草として使われ後に観賞用になります。
平安時代に極限られた人々によって栽培されますが、一般に普及したのは江戸時代に
なってからといわれています。
平安時代には陰暦9月は菊月とよばれ、9月9日は9が重なることから重陽の節句とされ
宮中では、菊の花を浮かべたお酒を飲む菊花の宴、菊花の杯で邪気を祓いました。
節句の前日に菊の花を真綿で覆い菊の香りを移し、翌朝に露に湿ったこの真綿で顔をぬぐい
長寿を祈願するという日本独自の行事が生まれます。
これが「菊被綿(きくのきせわた)」です。


菊被綿をつくってみましょう。
蘇芳を煮て椿の灰汁で媒染した染料をつかって染められた真綿。

2枚にわけ中身となるほうはクシュクシュと丸めてお団子のようにします。

外側になるほうを上から膜のように被せて丁寧に撫でていきます。

菊被綿は3色。

完成です!
旧暦の9月9日の重陽は、新暦ですと2014年10月2日になります。
10月1日の夜には菊の花に被せて、若返りを祈願したいと思います~♪

「後水尾院当時年中行事」によると「白菊には黄色の綿を、また黄色の菊には赤い綿を、
赤い菊には白い綿を覆う」とあるのだそう。
ちなみに高倉流では皇室にお納めされるものにのみ花芯をつけられるのだそうです。


雅やかな節句行事、大切にしていきたいですねドキドキ


童女の正装である汗衫(かざみ)装束と総角(みずら)のお話は別記事で(^-^)/

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富岡製糸場が世界遺産になったこともあり、日本の近代化を担った製糸技術と産業遺産に
注目が集まっています。富岡製糸場レポも検定前にあげたいところですが…(・_・;)

きもの文化検定1級を受験される方は、資料を丸暗記するのではなく、繰糸機の
フランス式とイタリア式の違い、なぜフランス式ではなくなったのか。
共撚り式からケンネル式。
諏訪式繰糸機、多条繰糸機、自動繰糸機への移り変わり。
こういったことを系統立てて理解することをおススメいたします。

ちなみに、岡谷蚕糸博物館には富岡製糸場のフランス式繰糸機をはじめとした、
ほとんどの繰糸機が今も残っています。
さらに宮坂製糸場による、座繰りの諏訪式、上州式が動態展示として見学できます。
岡谷にも近代産業遺跡群があり、こちらも要チェック(-_☆)
岡谷蚕糸博物館レポと共に近々「きものカンタービレ♪」にてアップする予定です。

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