遠出がつづいておりまして、レポートが大渋滞中となっておりますm(_ _ )m
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能登上布 工房見学 その2 at 山崎麻織物 / 2014年夏 金沢の旅 その3  のつづきです(^-^)/

金沢といったら、日本の三名園のひとつである兼六園、その隣にある成巽閣へサーチ
「前田家伝来 ~夏衣装と調度展~」が開催中です。 (~9月15日まで)


成巽閣は1863年(文久3年)に加賀藩13代藩主前田斉泰が母である真龍院(鷹司隆子)
のために建立した奥方御殿。鷹司家が辰巳殿といわれたことと金沢城から見て
巽の方角に位置することから当時は巽御殿といわれました。
書院造と数寄屋風書院造が併存した格式ある優美な空間となっています。


前田家の遺品は東京駒場の前田育徳会が所蔵されていると聞いておりましたが、
前田家の女性の遺品は成巽閣にて所蔵されているものが多いのだそうです。
鷹司家、将軍家をはじめとした徳川家、鍋島家から嫁がれた姫君の美しい夏装束と
夏の調度品が展示されていました。

鷹司家からお輿入れされた鷹司隆子の装束と考えられているという、紗の夏単袿。
もしかしたら、お付きの女官の方の可能性も?


紫納戸絽地御所解文様縫単衣
たっぷりとした刺繍の御所解文様の小袖です。

夏の麻地の小袖、帷子も展示。白地の麻、しかも刺繍ですが、驚くほど状態が良い!!

白麻地卍字立涌文花熨斗模様絞刺繍帷子
前田家13代斉泰の正室、溶姫(11代将軍徳川家斉の息女)が着用したもの。
卍文様は古代より太陽を表すものとされています。
インドではヒンドゥー教の神の胸の旋毛、仏教では釈迦の胸の瑞相とされ、吉祥文様のひとつ。


白麻地唐団扇花熨斗模様染刺繍帷子
前田家7代宗辰の正室、常子(会津藩保科正容の息女)が着用したもの。

団扇も色々で楽しい♪ 
夏の小袖文様の絽の訪問着を誂えるとしたらこの衣裳かな(-_☆)


享保年間につくられた小袖文様はストライクの好みのものばかり~(〃∇〃)恋の矢

白麻流水羽団扇花熨斗染刺繍帷子
木目型の流水が面白い。羽団扇というのも優雅でいいですね。
ハウーンドキドキという感じ。←のだめ
前田家6代吉徳の正室、松(5代将軍徳川綱吉の養女)が着用したもの。


細帯と提帯。提帯は武家女性の夏の正装の腰巻につかわれます。
錦地や唐織の筒状の細い帯で、全体に紙が入っていて左右端には固い芯があり、
着装すると芯のある部分が長く左右に張るようになっています。
武家の衣替えは夏季(旧暦5月5日~7月30日)は帷子に提帯、(旧暦8月1日~9月8日)
袷に提帯といわれていますが、各大名家によってしきたりは違ったようです。


美しい鼈甲の花簪

夏扇の骨の透かし彫りの四つ目丁字は近衛、鷹司家の定り紋です。

夏らしいガラスの調度品


杏葉紋は佐賀鍋島家の家紋。
前田家15代利嗣夫人朗子(鍋島家11代直大のご息女)がお輿入れの際に携えられたもの。
朗子さまは隆子さまと同じく、激動の時代の前田家を支えられ成巽閣にて晩年を過ごされました。


成巽閣の素晴らしいところは、日本が世界的にも文化度が優れ頂点であったともいえる
ころの職人の技を、さまざまな面から堪能できること。

謁見の間

欄間彫刻は加賀の木彫り名工、武田友月(1772~1844)の作


松の間

障子の腰板にはガラス板に描かれた鳥。
阿蘭陀渡りのぎやまんがつかわれているせいでしょうか、日本らしい花鳥風月にモダンさが
加わった印象。壁紙の八つ藤の丸紋など有職文様は元は西方から来たものをアレンジした
ものなので、和と融合すると合うように思います。


つくしの縁庭園


成巽閣の吉竹泰雄館長さまにご案内していただきました。
お忙しいところ、ありがとうございましたm(_ _ )m

※館内での撮影及び「きものカンタービレ♪」への掲載の許可をいただいております。

加賀前田家は徳川幕府体制下における外様大名という立場から、文化政策に力を
入れることで軍事放棄を表明したといわれています。
そのおかげで、金沢には、加賀友禅、加賀縫、箔、加賀蒔絵、九谷焼、加賀水引など
素晴らしい伝統工芸品が今に伝承されています。
日本の三名園のひとつである兼六園、北陸の地での能楽の発展もその恩恵によるものです。

きものが似合う街ですね♪
つづきます(^-^)/

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