大島紬 泥染め見学 at 金井工芸 日本きもの学会産地研修 / 奄美大島&鹿児島の旅 その2 のつづき(^-^)/

今回の旅レポは時系列でご紹介しています。
奄美大島紬締加工組合 締工房 匠の館へ目


大島紬の工程は、分業制で約30工程があります。
中でも本場大島紬の最大の特色は、明治40年に完成された締機による絣締め加工法です。


絣柄をつくりだす、絣糸の防染には、糸括りや板締め、捺染などがありますが、本場大島紬の
他の産地との大きな違いは、絣糸をつくるために開発された締機をつかった絣づくり。
絣になるところの絹糸を図案に合わせて綿糸で締め(織り込んで)絣糸をつくります。
絣糸をつくる目的のためだけに、締機で織られるのです。
これが「大島紬は二度織られる」というわれる由縁です。

織られたものは筵状になるため「絣筵」といわれます。

この工程は、産地まで足を運ばなければ見ることができません。
何故なら、締機は普通の機の5倍の大きさがあり、床にアンカーで固定されているのです。
この締機は松の樹の芯をつかってつくられているのだそう。

機には大きなコンプレッサー(圧縮機)がついていて、約5kgの力で打ち込みます。
力が必要なので大島紬の締機は昔から男の仕事。

この圧縮機で打ち込むことによって締機が動かないように四隅が固定されています。
木造の家にある締機はハリをとって打ち付けられているのだそう。


経糸に綿糸、緯糸にはイギスという海藻で糊張りした絹糸。
絹糸は1本が16本の束になっていて、ヒジキに巻いてつかいます。

経糸の綿糸は錘で引っ張られていました。

綿は水分を含むと締まり、絹は膨張します。締機はこの素材の特性を生かしているのです。


かつては、絣を織る杼の数は絣の数だけ必要で、柄が大きいものだと杼の数が増え、
織るのが難しいものだったそうです。なので大正初期までは小柄の絣模様が中心。
交代締めの開発によって1本の糸に絣模様の順番通りに締め加工することによって、
1丁の杼で大柄の絣も織られるようになります。
締機による緯絣の交代締めは1914年(大正3年)に実用化されました。

図案の設計図と照合して織っていきます。

締機では絣にしたい絹糸に対し綿糸で上糸と下糸にして挟むように織られることになる…?

経緯絣の場合、経糸用の絣筵と緯糸用の絣筵が織られます。


こうして織られた絣筵は、糊落としされ泥染の工程にいくのです。


締機の工程をご説明くださった、伝統工芸士の恵正人志さんとカメラ
絣の配列方法、絣糸の単位「マルキ」のことが、今ひとつわからず、質問攻めしました。
こちらは別記事でまとめます。

ちなみに、私がこの日に着ていたのは、絣の配列が複雑な割込絣。
手がかかりすぎるので、今はこういったものはつくられていないのだそう。残念汗


次は、本場奄美大島紬協同組合に向かいます(^-^)/

「きものカンタービレ♪」のFacebookページ矢印