NHK文化センター青山教室×美しいキモノのコラボレーション企画
長崎巌先生による「型染めの歴史」の講座へメモ


型染めは量産するための技法と思われがちですが、元々は違います。
型をつかうことによって、手間が省ける量産品となったのは、江戸時代後期以降のこと。

明治になり武家社会が終わるとともに、大量の型紙がヨーロッパに流出します。
産業革命後のヨーロッパでは、日本の型紙は洗練された工業的意匠として賛美され、
アールヌーボーやユーゲントシュティールに影響を与えました。
そして浮世絵と共にジャポニズムの大ブームを巻き起こすことになるのです。
日本の型紙がヨーロッパに渡ったことで、型紙の紗張りからスクリーン捺染が発展。
そして日本へは化学染料が輸入され、広瀬治助が考案した写し糊によって型友禅が普及します。

明治期の染織の技法や意匠のヨーロッパと日本の関係は、数多くの美術工芸品に反映され
ているので、掘り下げていくと面白すぎて止まりません…(^_^;)
これらのお話は長崎先生が監修された「KATAGAMI style 展」の頃に学びましたひらめき電球

以下、長崎巌先生による「型染の歴史」の話からザックリまとめますφ(.. )
曖昧だった点がストンと腑に落ちてスッキリビックリマーク
技法の詳細についての解説などは、美しいキモノ2014年春号の「型染めゼミナール」
に詳しく書かれているので省きます。


型染めは、古くは上流階級の装飾品につかわれた紋織物の代替品。←長崎先生による仮説
文様を繰り返し染める、これは紋織物は型(パターン)を繰り返し織られるもので、
有職織物にみられる特徴である。

日本の型染めの起源は、摺絵、夾纈、臈といった、木型をつかったもの。
紋織物は文様が浮き上がって見えるのが特徴だが、その部分は宿命的に弱い。
耐久性がない故に、物理的強度を考えて型染めがつかわれたのでは?

正倉院御物には麻のものと絹のものがあるが、強度を要する敷物や袋物は麻のもの
に木型をつかった型染めのものが多い。模様が織物でほぼ同じものがあるのは、
紋織物と同じく繰り返しの文様を表すためだったと考えられる。

奈良から平安時代になると、庶民は麻地に無地か絞りの染め(当時は布といったら麻のこと)、
上流階級である公家は絹の紋織物を着ていた。

参考資料◇有職織物の代表である二陪織物 


この時代には蛮絵、踏込型といった型染めも行なわれている。

熊や獅子の丸紋を浮き彫りにした木型に墨を塗って生地に押し付けて模様を写す技法で、
奈良時代の摺絵に類する。
随身装束の褐衣の意匠で、身体を動かすのには適さない紋織物の代替品としてつくられたもの。
左右近衛府の武官だけでなく防人も着用。
身体を動かす武官のためのもので、紋織物の代替品としてつくられたために丸紋←ポイントひらめき電球

参考資料◇衣紋道高倉流たかくら会所蔵の平安期の蛮絵装束のレプリカ

参考資料◇天野神社伝来の室町時代の蛮絵装束。「大神社展」の内覧会 より

参考資料◇葵祭の随身装束の蛮絵。近世では刺繍で表されます。
随身装束はあくまでも活動的に動けることが目的につくられているので、身頃1巾の狩衣
と同じつくり。ただし袖と身頃は縫い合わされています。


踏込型は、踵で踏んづけて、革に文様を食い込ませることからついた名前。
鎧の革の部分に模様を表すために用いられた。
現存するものでは、法隆寺伝来の鎧の雛形の窠文を踏込型で表したものが最古。
これによっても、紋織物の代替品であったことが推測される。


この後に、より繊細な文様表現を求め、木型から型紙へと移行していく。
染料の摺り込みから防染へ。臈防染から糊防染へ。

型紙染の現存する最古のものは、源義経が所有していたと伝えられる籠手の家地。
家地とは甲冑の裏に貼る裂のこと。直接肌に接するところなので、麻地になっているのだろう。
文様は有職文様であることから、紋織物に変わるものとしてつかわれた可能性が高い。
浅葱色地に藤巴模様は、型紙をつかって糊を置いて藍に浸したものと考えられる。


型紙染の登場と公家社会から武家社会へ移っていく時期がリンクしているのが興味深いですひらめき電球

武家社会に入り成り上がった武士が公家と同じ装いをしようとすることによって、
さらに型染めが普及。型紙染は武士が支配者としての身分表現としてつかうようになっていく。
意匠の変遷については、きもの学公開講座のまとめで書いています。こちら☆

型染めは格が高く、絞りは庶民のものであったため、人から見えないところは絞り、
見える部分は型染めという武士の装束が肖像画で確認できる。
長谷川等伯が描いたとされる「伝•武田信玄像」←等伯の父が仕えた畠山義続像の説あり
直垂は型染め、中に着ている小袖は辻が花の絞り染め、というわかりやすい例。

型染めは武士の公服である素襖や裃の加飾表現としてつかわれるようになる。


型染めの成り立ちが、紋織物の代替品であり、元々は上流階級のものであったということが、
理路整然とわかりやすいお話でした。

あ、この日は型染めがテーマだったので、受講生の方も型染めの帯をした方がみられました。
雨でしたので、石下結城紬に知念貞男先生のグンバイヒルガオの紅型の帯で。




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