お内裏さま◇御引直衣に赤い袴、御立纓の冠
御引直衣とは天皇もしくは東宮、上皇の日常着です。袴の上に羽織ってガウンのように
着るもの。外出の時には引き上げて着るのだそう。
天皇がこの装束を着るようになってから他の身分のものは着なくなったもの。
冬は白地、夏は年齢に応じて二藍、縹、浅葱色。赤の長袴は女性のものと同じ仕立て。
天皇は冠物は冠。冠は垂纓と巻纓があります。垂纓の纓は後桃園天皇の頃から天皇の
権勢を示すために持ち上がってきたのだそう。明治天皇の時に直立。
冠の羅の文様は天皇であっても冠親である五摂家のいづれかの紋をつかっていたが、大正天皇の
成人以来菊の文様をつかうようになったとのことひらめき電球菊なら大正、昭和、今上。


お雛さま◇御五衣小袿長袴、紅梅の匂いの襲目
今の女雛の多くに見られるのは、釵子(さいし)と額櫛(ひたいぐし)。
元は天皇の配膳の際に髪をあげていたものが格好が良いということからつかわれるように。
現在の女性皇族の最高礼装は五衣唐衣裳ですが、一般的な儀式では五衣小袿長袴。
白地の唐衣は皇后のみ、皇太子妃は青地の唐衣。


三人官女◇白の小袖に赤の大腰袴。提、盃、長柄の銚子を持っています。

江戸時代中頃になると、宮中の経済状況は大変になり、女房の装束は簡素化されます。
天皇の御前にでる女官は、呼ばれたらすぐにいけるように、長袴に幅広の腰紐をつけて、
肩で結んで形にしておいてすぐに袴に入って、御前にでられるようにしたことから、この形に。


左大臣といわれていますが、これは武官束帯なので、近衛府の大将?
武官束帯の黒闕腋袍、半臂、表袴、巻纓冠に老懸、胡簶に鷲の矢羽。

平胡簶(ひらやなぐい)。これカッコイイ~(≧▽≦)恋の矢

右大臣ではなく、近衛府の少将?
武官束帯の朱闕腋袍、半臂、表袴、巻纓冠に老懸、胡簶に鷹の矢羽、刀の尻鞘は虎。

闕腋の半臂には帯の余った束が格好良かったことからついた忘緒という
畳んだ帯の装飾を下げています。


靴(かのくつ)
西アジアの騎馬用の靴が渡ってきたといわれています。
仙石先生がヨルダンのハッサン王子に日本の装束のお話をされた時に、ハッサン王子が
この靴は我が国のものと同じとおっしゃったそうです。

日本は畳文化で靴を履くようになったのは明治からといわれていますが、公家の装束では
畳以外では、浅沓、烏皮履、絲鞋(絹糸で編まれたズックのようなもの)などを履く文化が
ありました。
女性も五衣唐衣裳、五衣小袿長袴の際にも靴をはいていました。


1873年(明治6年)富岡製糸工場を昭憲皇后と英照皇太后が行啓された際に
袿袴装束に切袴と同じ生地の靴を履いていたことが話題になったのだそうです。
荒井寛方◇「富岡製糸場行啓」聖徳記念絵画館壁画より


武官束帯、素敵だなあ~ドキドキ 


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