「横山大観展 ~良き師、良き友~」(~11月24日まで) 夜間特別内覧会へ
染織文化講座の後、渋谷から東横線でみなとみらいへ
夜の横浜美術館です。
最近の展覧会は、ただ絵を鑑賞するだけでなく、その作品が描かれることになった背景や、
作家の人間関係、心情まで考察できるものが多くて、面白いことになっていますヽ(*'0'*)ツ
「横山大観展 ~良き師、良き友~」は、大観の師であり大観に多大な影響を与えた岡倉天心
の影響のもとにあった時期、そして天心の死後、盟友の画家たちとの交流、そのつながりを
考察しつつ鑑賞できるようになっていました(-_☆)
岡倉天心が怪文書によって東京美術学校校長を辞職することになった美術学校騒動。
大観は橋本雅邦や菱田春草らとともに天心辞職に抗議を申し立てて教授辞職します。
私は九鬼周造の随筆が好きだったので、この時代の美術史に興味があり、さらに思う
ところもあったりします。なのでこの作品はとっても見たかった!
岡倉天心の姿を事実無根の誹謗中傷により追放された楚の詩人であり政治家の屈原に
重ねて描いたという作品。
「屈原」1898年(明治31年) 厳島神社蔵 (~10月16日までの限定公開です)
屈原が手に持っているのは蘭の花。蘭は高潔な気性の象徴として描かれ、荒れ狂う風は
屈原の悲壮な内面を表しているのだそう。
草叢に隠れるようにいる黒い鳥は鴆(ちん)という中国の古文献に記述がある猛毒を持つ
鳥のこと。屈原の背後から上目遣いでみる白っぽい鳥は燕雀。
鴆は人を中傷し媚び諂う讒佞を、燕雀は小心を表しているのだそう。
どちらの鳥もとても人間ぽいいやらしい目つきをしているのです…。
きっといたのでしょうね。こういう目つきをした人たちが。
ちなみに端午の節句の粽の由来は、追放の憂き目にあい川に身を投げた屈原の亡骸を
魚が食らわないように、楚の人々が笹に米を包んで川に投げたことからきています
「屈原」には強烈に惹き付けられました
昔々に見た事があるように思うのですが…。
自分の経験から作品を見る目や感じ取るものが変わったのかもしれません。
実は私、日本画の巨匠といわれる大観の良さが今ひとつだったのです…(-。-;)
贋作も多い作家で、大観?といわれるものを見過ぎたかもしれませんし、日本画家としては
花鳥画が少ない画家だからかもしれません。
今展示会でも鳥が描かれた作品は少し。
不忍池沿いにあった大観邸のお庭には竹薮があってそこには木菟がきたそうで、月に竹薮、
そして木菟が水墨表現で描かれていました。
「夜」1922年(大正11年) 横山大観記念館蔵
今展覧会のポスターとしてもつかわれています。秋に相応しい作品。鹿は秋の季語です。
「秋色(しゅうしょく)」 1917年(大正6年)
やっぱり大観が描く動物は、どことなく人間っぽい気がします…。
花鳥画はあらたに追求しようとした主題だったのでは?とキャプションに説明されていました。
円熟期には花鳥画と風俗人物を融合させた新たな画風を示したのだそうです。
「春寒」1924年(大正13年) 伊豆市蔵
「白梅」1929年(昭和4年)
大観らしいのは、没線彩色による輪郭線を強調しない空間表現。「朦朧体」と呼ばれるもの。
「瀟湘八景より」1912年(大正元年) 東京国立博物館蔵 ※重要文化財
大観としては意外な気もするこんな作品も。インドを訪れた時に見たガンジス川の灯籠流し
から得た印象から結実させた作品。色が美しい。
「流燈」1909年(明治42年) 茨城県近代美術館蔵
大観の友といえば、菱田春草の印象が強いのですが、互いに評価し合いながら親しく交友した
画家は他にも。 今展示会では今村紫紅、小杉未醒、小川芋銭、冨田渓山が紹介されています。
今村紫紅「熱国之巻」「朝之巻」1914年(大正3年) 東京国立博物館蔵 ※重要文化財
小杉未醒「桃源漁郎絵巻」1916年(大正5年) 小杉放庵記念日光美術館蔵
大観はこの作品をみて芋銭を日本美術院に勧誘したのだそう。
小川芋銭「肉案」1917年(大正6年) 茨城県近代美術館蔵
冨田渓山「獅子猛進の図」1922年(大正11年)
画家、山口晃氏が今展覧会の為に描いた師と大観そして友の肖像画。
美術館入口にあるこちらのパネルは一般の方も撮影OK
あれ…、山口晃氏?
横山大観41歳のころにそっくりじゃないですか(-_\)(/_-)三( ゚Д゚)
「横山大観展 ~良き師、良き友~」 10月16日までの「屈原」をお見逃しなく
※展示会場内での撮影は夜間特別鑑賞会にて特別に撮影及び「きものカンタービレ♪」への
掲載許可をいただいているものです。
染織文化講座の後、渋谷から東横線でみなとみらいへ
夜の横浜美術館です。
最近の展覧会は、ただ絵を鑑賞するだけでなく、その作品が描かれることになった背景や、
作家の人間関係、心情まで考察できるものが多くて、面白いことになっていますヽ(*'0'*)ツ
「横山大観展 ~良き師、良き友~」は、大観の師であり大観に多大な影響を与えた岡倉天心
の影響のもとにあった時期、そして天心の死後、盟友の画家たちとの交流、そのつながりを
考察しつつ鑑賞できるようになっていました(-_☆)
岡倉天心が怪文書によって東京美術学校校長を辞職することになった美術学校騒動。
大観は橋本雅邦や菱田春草らとともに天心辞職に抗議を申し立てて教授辞職します。
私は九鬼周造の随筆が好きだったので、この時代の美術史に興味があり、さらに思う
ところもあったりします。なのでこの作品はとっても見たかった!
岡倉天心の姿を事実無根の誹謗中傷により追放された楚の詩人であり政治家の屈原に
重ねて描いたという作品。
「屈原」1898年(明治31年) 厳島神社蔵 (~10月16日までの限定公開です)
屈原が手に持っているのは蘭の花。蘭は高潔な気性の象徴として描かれ、荒れ狂う風は
屈原の悲壮な内面を表しているのだそう。
草叢に隠れるようにいる黒い鳥は鴆(ちん)という中国の古文献に記述がある猛毒を持つ
鳥のこと。屈原の背後から上目遣いでみる白っぽい鳥は燕雀。
鴆は人を中傷し媚び諂う讒佞を、燕雀は小心を表しているのだそう。
どちらの鳥もとても人間ぽいいやらしい目つきをしているのです…。
きっといたのでしょうね。こういう目つきをした人たちが。
ちなみに端午の節句の粽の由来は、追放の憂き目にあい川に身を投げた屈原の亡骸を
魚が食らわないように、楚の人々が笹に米を包んで川に投げたことからきています
「屈原」には強烈に惹き付けられました
昔々に見た事があるように思うのですが…。
自分の経験から作品を見る目や感じ取るものが変わったのかもしれません。
実は私、日本画の巨匠といわれる大観の良さが今ひとつだったのです…(-。-;)
贋作も多い作家で、大観?といわれるものを見過ぎたかもしれませんし、日本画家としては
花鳥画が少ない画家だからかもしれません。
今展示会でも鳥が描かれた作品は少し。
不忍池沿いにあった大観邸のお庭には竹薮があってそこには木菟がきたそうで、月に竹薮、
そして木菟が水墨表現で描かれていました。
「夜」1922年(大正11年) 横山大観記念館蔵
今展覧会のポスターとしてもつかわれています。秋に相応しい作品。鹿は秋の季語です。
「秋色(しゅうしょく)」 1917年(大正6年)
やっぱり大観が描く動物は、どことなく人間っぽい気がします…。
花鳥画はあらたに追求しようとした主題だったのでは?とキャプションに説明されていました。
円熟期には花鳥画と風俗人物を融合させた新たな画風を示したのだそうです。
「春寒」1924年(大正13年) 伊豆市蔵
「白梅」1929年(昭和4年)
大観らしいのは、没線彩色による輪郭線を強調しない空間表現。「朦朧体」と呼ばれるもの。
「瀟湘八景より」1912年(大正元年) 東京国立博物館蔵 ※重要文化財
大観としては意外な気もするこんな作品も。インドを訪れた時に見たガンジス川の灯籠流し
から得た印象から結実させた作品。色が美しい。
「流燈」1909年(明治42年) 茨城県近代美術館蔵
大観の友といえば、菱田春草の印象が強いのですが、互いに評価し合いながら親しく交友した
画家は他にも。 今展示会では今村紫紅、小杉未醒、小川芋銭、冨田渓山が紹介されています。
今村紫紅「熱国之巻」「朝之巻」1914年(大正3年) 東京国立博物館蔵 ※重要文化財
小杉未醒「桃源漁郎絵巻」1916年(大正5年) 小杉放庵記念日光美術館蔵
大観はこの作品をみて芋銭を日本美術院に勧誘したのだそう。
小川芋銭「肉案」1917年(大正6年) 茨城県近代美術館蔵
冨田渓山「獅子猛進の図」1922年(大正11年)
画家、山口晃氏が今展覧会の為に描いた師と大観そして友の肖像画。
美術館入口にあるこちらのパネルは一般の方も撮影OK
あれ…、山口晃氏?
横山大観41歳のころにそっくりじゃないですか(-_\)(/_-)三( ゚Д゚)
「横山大観展 ~良き師、良き友~」 10月16日までの「屈原」をお見逃しなく
※展示会場内での撮影は夜間特別鑑賞会にて特別に撮影及び「きものカンタービレ♪」への
掲載許可をいただいているものです。