今日は重陽の節句。
9月2日に行なわれた衣紋道高倉流の重陽の節句の行事のレポです。
きもの カンタービレ♪
この日は菊被綿にあわせて菊文様の絽小紋の装いでした菊
きもの カンタービレ♪

高倉流宗会頭の仙石宗久先生とカメラ 
過去にもレポしておりますので重なりますが、おさらいがてらまとめますφ(.. )
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪
古代中国では菊は仙境に咲く邪気を祓い延命長寿の効能がある花とされています。
能の枕慈童(私がかつて習っていた宝生流ではこういいますが、観世流では菊慈童)
という演目にもなっているお話なのですが、ザックリとご説明すると…、
魏の文帝の頃、勅使が酈縣山の麓から涌く霊水の源を探しに行くと菊の花が咲く山の庵で
少年と出会います。その少年は周の穆王に仕えていたというのです。
周というのは遥か昔の国(紀元前11世紀~紀元前256年?※諸説あり)の700年も昔の国のことで
いぶかしむと、少年は周の穆王に仕えていたが、王の枕をまたいでしまったことから、罰として
この山に配流されたとのこと。でも少年に悪意のないことを知って憐れんだ王が、その枕に法華経
の二句の妙文を書きそえて少年に与えました。その文字を菊の葉の上に写して書くと葉の露が
霊薬となって少年は700年も不老長寿のままだったというお話からきています。
菊に流水の唐織の能装束に枕慈童の能面が飾られていました。
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菊は奈良時代末期に唐から伝来し、当初は薬草として使われ後に観賞用になりまます。
ただし確証はなく、万葉集、古事記、日本書紀などには書かれていないのだそう.
平安時代に極限られた人々によって栽培されますが、一般に普及したのは江戸時代に
なってから。
平安時代には陰暦9月は菊月とよばれ、9月9日は9が重なることから重陽の節句とされ
宮中では、菊の花を浮かべたお酒を飲む菊花の宴、菊花の杯で邪気を祓ったとされています。
節句の前日に菊の花を真綿で覆い菊の香りを移し、翌朝に露に湿ったこの真綿で顔をぬぐい
長寿を祈願するという日本独自の行事が生まれました。
これが「菊被綿(きくのきせわた)」です。
きもの カンタービレ♪
菊被綿つくりのワークショップ
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この黄色は黄檗で染められたもの。草木染めの山﨑先生のところにお願いしているそうです。
2つに分けてから中身となるお団子のようなものをつくります。
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪
もう1つを上から被せます。
実演された橋本さま曰く「やさ~しく、まあ~るく、ポンポンと…。」
橋本さまがつくられた菊被綿は可愛らしかったです!
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪

仙石先生による、時代によって変わった宮廷装束の着付け方の違いのお話が面白かった!

江戸時代の宮廷では白小袖に長袴が女官の通常服となっていたのだそうです。
長袴の腰(紐)を広く大きくして白小袖の上に掛ける『大腰袴』のスタイル。
雛人形の三人官女の装い。
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明治になると宮中の華族婦人の正装は洋装はローブ•デコルテなど、和装は袿袴スタイル。
切袴に単に袿に檜扇を持った袿袴。
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単衣を着ないもスタイル。裾をたくし上げると道中着スタイルになります。
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西洋化された明治以降の宮廷装束の変遷にとても興味があります(-_☆)
平安時代の宮廷装束に関する本はたくさんありますが、武家の台頭以降の宮廷装束について
詳しく書かれた本は少ないのです…。
仙石先生のお話はとてもわかりやすくて面白いので、さらに深く知りたくなります~。
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たかくら流の行事はとても行き届いていていつも素晴らしい~ドキドキ
ありがとうございましたm(_ _ )m

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