「世田美が百貨店のフタを開けてみた」このキャッチが面白い
美術館の視点で百貨店の意味を、髙島屋が所蔵する美術品、建築、装飾、ウインドーディスプレイ、
広告宣伝、そして上品会と百選会の染織品から紐解くという今までになかった企画展です。
「暮らしと美術と髙島屋」展(~6月23日まで)へ
1831年(天保2年)に飯田新七が創業した「たかしまや」は当初は古着木綿商でした。
蛤御門の変にて店舗を焼失したことをきっかけに古着屋を廃業して木綿呉服商となります。
その後、1888年(明治22年)バルセロナ万国博覧会を皮切りに、優れた技の染織作品を
発表し数々の賞を受賞。下絵を竹内栖鳳はじめとする京都画壇の画家に依頼し、卓越した技
を持つ染め元(千總など)との親密な関係を築き、素晴らしい染織作品を残していきます。
会場に入ってすぐ、エレベーターガールのアナウンスによる髙島屋の歴史が流れます。
こういった演出も面白いヘ(゚∀゚*)ノ
1910年(明治43年)年の日英博覧会に出品した竹内栖鳳らの下絵による巨大なビロード友禅。
雪月花がテーマとなっています。竹内栖鳳の「ベニスの月」がみれて嬉しいヽ(゚◇゚ )ノ
明治末から大正初期にかけて、ビロード友禅は洋風建築の装飾品として一世を風靡した
美術染織品です。この油絵のような立体感は、輪奈ビロードの特徴。
竹内栖鳳「アレ夕立に」、今尾景年「鷹獲鴛鴦図」は思っていたよりも大きい~\(゜□゜)/
表装も立派なもので見応えあります。
そして、きもの好きなら気になる上品会と百選会の染織品の展示。
上品会と百選会が同時展示されているという、稀有なもので見応えがありました
上品会は1936年(昭和11年)に染織美の極みを追求することを目的としてはじまります。
同人と呼ばれる老舗呉服業者が、織、染、繍、絞、絣の染織五芸を競い合う会。
当初「染の千總」「帯の龍村」「織の矢代仁」の3社が出品していましたが、戦争を挟んで
一時中断。1953年の再開後、同人も増えて、前述3社の他に、岩田、秋場、川島織物、
大羊居、千切屋の8社が参加しています。
上品会を上品たらしめているのは、入選作すべてを高島屋が買い取る制度によるもの。
それによって、クオリティの高いものがつくられつづけているのです。
上品会の「上品」とは上質なだけではなく、官の等級や種類の上下を表すのだと、かつて
髙島屋の方から教えていただきました。
百選会は1913年(大正2年)にはじまり戦争で一時中断した後、1994年(平成6年)まで
つづいていました。今はもうないのが残念…。
文化人を顧問として、毎回流行色とテーマと標準図案を提示し、全国の産地から染織品の
新柄を募集して、髙島屋が審査し、展示即売する会でした。
これによって髙島屋は新しい意匠の流行を仕掛けていったようです。
百貨店が仕掛けたきものの流行の有名なものに、1904年(明治37年)三越が行なった
百貨店初の美術展「光琳遺品展覧会」があり、翌年1905年(明治38年)には三越の
デパートメントストア宣言に伴って、大掛かりな「元禄キャンペーン」をおこない、
元禄模様の大ブームを起こしたというのがあります。※他社のお話で失礼※
上品会が伝統を重んじる技の極みなら、百選会はモダンで革新的な新柄意匠。
呉服商としてきもの業界を牽引してくださるのに、どちらもありつづけて欲しかった。
この世田谷美術館の企画展を含めて髙島屋は「ART WALKING」という美のイベントを開催。
この試み髙島屋の顧客は知っていても、美術好きで知らない方がいらしらようで勿体ない
こちらは日本橋髙島屋のウィンドウディスプレイ。テレビの画面に映っているのは北野恒富
の原画、与謝野晶子による文で話題になった1929年「キモノ大阪春季大展覧会」のポスター。
百貨店は暮らしに潤いを与えてくれるアミューズメントパーク。暮らしの夢を描く文化装置
として私たちの生活に浸透していったことを実感する企画展でした。
世田谷美術館のレストラン「ル•ジャルダン」
この企画展にあわせて、大人のお子様ランチが限定20食であったのですが、食べられず。
砧公園の雨に打たれた緑を眺めつつ、鑑賞の余韻に浸るのお茶の時間は贅沢です。
染織工芸家の柚木沙弥郎「いのちの旗じるし」展(~8月18日) も鑑賞
昨年卒寿を迎えられた現役の染織工芸作家さんで、芹沢銈介に師事されていた方だそう。
生命力が強いというのは、こういう染色のことですね。
出雲レポの途中ですが、リアルタイム記事を優先してます。
美術館の視点で百貨店の意味を、髙島屋が所蔵する美術品、建築、装飾、ウインドーディスプレイ、
広告宣伝、そして上品会と百選会の染織品から紐解くという今までになかった企画展です。
「暮らしと美術と髙島屋」展(~6月23日まで)へ
1831年(天保2年)に飯田新七が創業した「たかしまや」は当初は古着木綿商でした。
蛤御門の変にて店舗を焼失したことをきっかけに古着屋を廃業して木綿呉服商となります。
その後、1888年(明治22年)バルセロナ万国博覧会を皮切りに、優れた技の染織作品を
発表し数々の賞を受賞。下絵を竹内栖鳳はじめとする京都画壇の画家に依頼し、卓越した技
を持つ染め元(千總など)との親密な関係を築き、素晴らしい染織作品を残していきます。
会場に入ってすぐ、エレベーターガールのアナウンスによる髙島屋の歴史が流れます。
こういった演出も面白いヘ(゚∀゚*)ノ
1910年(明治43年)年の日英博覧会に出品した竹内栖鳳らの下絵による巨大なビロード友禅。
雪月花がテーマとなっています。竹内栖鳳の「ベニスの月」がみれて嬉しいヽ(゚◇゚ )ノ
明治末から大正初期にかけて、ビロード友禅は洋風建築の装飾品として一世を風靡した
美術染織品です。この油絵のような立体感は、輪奈ビロードの特徴。
竹内栖鳳「アレ夕立に」、今尾景年「鷹獲鴛鴦図」は思っていたよりも大きい~\(゜□゜)/
表装も立派なもので見応えあります。
そして、きもの好きなら気になる上品会と百選会の染織品の展示。
上品会と百選会が同時展示されているという、稀有なもので見応えがありました
上品会は1936年(昭和11年)に染織美の極みを追求することを目的としてはじまります。
同人と呼ばれる老舗呉服業者が、織、染、繍、絞、絣の染織五芸を競い合う会。
当初「染の千總」「帯の龍村」「織の矢代仁」の3社が出品していましたが、戦争を挟んで
一時中断。1953年の再開後、同人も増えて、前述3社の他に、岩田、秋場、川島織物、
大羊居、千切屋の8社が参加しています。
上品会を上品たらしめているのは、入選作すべてを高島屋が買い取る制度によるもの。
それによって、クオリティの高いものがつくられつづけているのです。
上品会の「上品」とは上質なだけではなく、官の等級や種類の上下を表すのだと、かつて
髙島屋の方から教えていただきました。
百選会は1913年(大正2年)にはじまり戦争で一時中断した後、1994年(平成6年)まで
つづいていました。今はもうないのが残念…。
文化人を顧問として、毎回流行色とテーマと標準図案を提示し、全国の産地から染織品の
新柄を募集して、髙島屋が審査し、展示即売する会でした。
これによって髙島屋は新しい意匠の流行を仕掛けていったようです。
百貨店が仕掛けたきものの流行の有名なものに、1904年(明治37年)三越が行なった
百貨店初の美術展「光琳遺品展覧会」があり、翌年1905年(明治38年)には三越の
デパートメントストア宣言に伴って、大掛かりな「元禄キャンペーン」をおこない、
元禄模様の大ブームを起こしたというのがあります。※他社のお話で失礼※
上品会が伝統を重んじる技の極みなら、百選会はモダンで革新的な新柄意匠。
呉服商としてきもの業界を牽引してくださるのに、どちらもありつづけて欲しかった。
この世田谷美術館の企画展を含めて髙島屋は「ART WALKING」という美のイベントを開催。
この試み髙島屋の顧客は知っていても、美術好きで知らない方がいらしらようで勿体ない
こちらは日本橋髙島屋のウィンドウディスプレイ。テレビの画面に映っているのは北野恒富
の原画、与謝野晶子による文で話題になった1929年「キモノ大阪春季大展覧会」のポスター。
百貨店は暮らしに潤いを与えてくれるアミューズメントパーク。暮らしの夢を描く文化装置
として私たちの生活に浸透していったことを実感する企画展でした。
世田谷美術館のレストラン「ル•ジャルダン」
この企画展にあわせて、大人のお子様ランチが限定20食であったのですが、食べられず。
砧公園の雨に打たれた緑を眺めつつ、鑑賞の余韻に浸るのお茶の時間は贅沢です。
染織工芸家の柚木沙弥郎「いのちの旗じるし」展(~8月18日) も鑑賞
昨年卒寿を迎えられた現役の染織工芸作家さんで、芹沢銈介に師事されていた方だそう。
生命力が強いというのは、こういう染色のことですね。
出雲レポの途中ですが、リアルタイム記事を優先してます。