有職文化研究所主催による「雑事抄を中心に宮廷装束を見る」勉強会へ
『装束雑事抄』とは、衣紋道の家である高倉家に伝わる装束に関するアレコレを記した
古文書のことです。
現代のきものではない装束の世界ですが、きものが今の形に至った源流であり、何よりも
美しい織物。季節によって位によって場所によって装いにルールがあり、その理由を
紐解いていくと、興味深いことばかりです。
雑事抄を読み解く前に、皇太子ご夫妻のご成婚20周年が近いこともあって、現代皇族の
十二単のお話がありました。
美智子皇后陛下の十二単、皇太子妃雅子さまの十二単、秋篠宮紀子さまの十二単の違い。
忘れもしない、きもの文化検定2級で皇太子ご夫妻の御成婚式の装いの問題がでたことを…。
雅子さまがご成婚の際にお召しになられた十二単は夏物です。
織糸は生糸をつかった生絹、打衣には裏をつけない、夏の重ねの色目というのが特徴
白小袖に濃色の精好織りの長袴に濃色幸菱文固地綾の単。
五つ衣は立涌に忍冬唐草の地紋の固地綾。五つ衣の色は花橘の重ねの色目。
色は単から打衣に向かって、薄い青(黄緑)、青(緑)、白、薄い山吹色、濃い山吹色。
表着は、若松菱文を地紋とした紅色の南天を加えた尾長鳥の丸文の二倍織物で
裏は黄の平絹の支子色(くちなしいろ)の重ね。
唐衣は、表が青(緑)色亀甲の地紋とした、白色で支子の花を六窠の中にあしらった二倍織物。
裏は表と同じ色で小菱を地紋とする生固地綾。
唐衣の上紋の支子は、皇太子殿下の黄丹の袍を染める染料のひとつです。
青(緑)の唐衣の色は皇太子妃になられる方だから着ることができる色のひとつなのだそう。
裳は桐竹鳳凰文の地摺絵の穀織。
ご成婚記念日が近いので、近々各メディアで見ることができると思います。
興味がある方はチェックしてみてください(-_☆)
詳しいことは、仙石宗久先生のこちらの著作↓がおススメです
amazonから購入できます。
十二単のはなし―現代の皇室の装い 仙石宗久著
固地綾、固織物、綾地綾の違いなど、チンプンカンプンだったのですが、仙石先生から
用途を学ぶと何となくわかってきたような…。←自信はありませんが(-。-;)
高倉流宗会頭でいらっしゃる仙石宗久先生と
この日の雑事抄の勉強で学んだのは多々ありますが、「袙(あこめ)」についてだけチラッと。
高倉流では袙と書きますが、本来は衵。古代中国で着用されていた柔らかい婦人用の肌着、
もしくは普段着のことなのだそう。さらに元は古代中国で身分が高い人がした白い被り物。
束帯、衣冠、直衣、狩衣などの下に用いられ、単衣と下襲との間に入れて着るので、あいこめ
(間籠)といわれるようになりました。なので袙は1枚では存在しないものなのだそうです。
袙の裏地のないものは、裏を引きへぐことから、ひへぎ→「引倍木(ひえぎ)」
袙には柔らかい絹を張らせて仕立てた「ふくさ張り」と糊で固めた「板引」がある。
直衣と狩衣の袙は、板引きなら「打衣」。浮織物、唐織物、固織物で練りなら「合衣」、
生絹なら「生衣」。素朴な疑問だった、狩衣の袙は束帯にもつかわれるのか?
高倉流の寸法抄では束帯と狩衣の袙の用尺はほぼ同じだが、仕立てが異なっている。
束帯と直衣の袙には胸に織り目があるが、狩衣の袙にはない。
直衣の袙の用尺は束帯と狩衣の袙の用尺よりも長いことから、すべて違うものであり、
当時は三通りの袙が必要だったのだそうです。
ちなみに明治以降は、袙、引倍木ともに天皇、東宮、親王方の御料となって他の方々が着る
ことはなくなっています。
雑事抄を読み解くこの講義、用語を理解するだけでも難しいのですが勉強になります(^-^)/
この日の装いは別記事にて。
ブログが大渋滞中ですので、今日中にあげる予定です。たぶん…。
『装束雑事抄』とは、衣紋道の家である高倉家に伝わる装束に関するアレコレを記した
古文書のことです。
現代のきものではない装束の世界ですが、きものが今の形に至った源流であり、何よりも
美しい織物。季節によって位によって場所によって装いにルールがあり、その理由を
紐解いていくと、興味深いことばかりです。
雑事抄を読み解く前に、皇太子ご夫妻のご成婚20周年が近いこともあって、現代皇族の
十二単のお話がありました。
美智子皇后陛下の十二単、皇太子妃雅子さまの十二単、秋篠宮紀子さまの十二単の違い。
忘れもしない、きもの文化検定2級で皇太子ご夫妻の御成婚式の装いの問題がでたことを…。
雅子さまがご成婚の際にお召しになられた十二単は夏物です。
織糸は生糸をつかった生絹、打衣には裏をつけない、夏の重ねの色目というのが特徴
白小袖に濃色の精好織りの長袴に濃色幸菱文固地綾の単。
五つ衣は立涌に忍冬唐草の地紋の固地綾。五つ衣の色は花橘の重ねの色目。
色は単から打衣に向かって、薄い青(黄緑)、青(緑)、白、薄い山吹色、濃い山吹色。
表着は、若松菱文を地紋とした紅色の南天を加えた尾長鳥の丸文の二倍織物で
裏は黄の平絹の支子色(くちなしいろ)の重ね。
唐衣は、表が青(緑)色亀甲の地紋とした、白色で支子の花を六窠の中にあしらった二倍織物。
裏は表と同じ色で小菱を地紋とする生固地綾。
唐衣の上紋の支子は、皇太子殿下の黄丹の袍を染める染料のひとつです。
青(緑)の唐衣の色は皇太子妃になられる方だから着ることができる色のひとつなのだそう。
裳は桐竹鳳凰文の地摺絵の穀織。
ご成婚記念日が近いので、近々各メディアで見ることができると思います。
興味がある方はチェックしてみてください(-_☆)
詳しいことは、仙石宗久先生のこちらの著作↓がおススメです
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十二単のはなし―現代の皇室の装い 仙石宗久著
固地綾、固織物、綾地綾の違いなど、チンプンカンプンだったのですが、仙石先生から
用途を学ぶと何となくわかってきたような…。←自信はありませんが(-。-;)
高倉流宗会頭でいらっしゃる仙石宗久先生と
この日の雑事抄の勉強で学んだのは多々ありますが、「袙(あこめ)」についてだけチラッと。
高倉流では袙と書きますが、本来は衵。古代中国で着用されていた柔らかい婦人用の肌着、
もしくは普段着のことなのだそう。さらに元は古代中国で身分が高い人がした白い被り物。
束帯、衣冠、直衣、狩衣などの下に用いられ、単衣と下襲との間に入れて着るので、あいこめ
(間籠)といわれるようになりました。なので袙は1枚では存在しないものなのだそうです。
袙の裏地のないものは、裏を引きへぐことから、ひへぎ→「引倍木(ひえぎ)」
袙には柔らかい絹を張らせて仕立てた「ふくさ張り」と糊で固めた「板引」がある。
直衣と狩衣の袙は、板引きなら「打衣」。浮織物、唐織物、固織物で練りなら「合衣」、
生絹なら「生衣」。素朴な疑問だった、狩衣の袙は束帯にもつかわれるのか?
高倉流の寸法抄では束帯と狩衣の袙の用尺はほぼ同じだが、仕立てが異なっている。
束帯と直衣の袙には胸に織り目があるが、狩衣の袙にはない。
直衣の袙の用尺は束帯と狩衣の袙の用尺よりも長いことから、すべて違うものであり、
当時は三通りの袙が必要だったのだそうです。
ちなみに明治以降は、袙、引倍木ともに天皇、東宮、親王方の御料となって他の方々が着る
ことはなくなっています。
雑事抄を読み解くこの講義、用語を理解するだけでも難しいのですが勉強になります(^-^)/
この日の装いは別記事にて。
ブログが大渋滞中ですので、今日中にあげる予定です。たぶん…。