竹田嘉兵衛商店 日本きもの学会産地研修 のつづきです。

7代目竹田嘉兵衛のご次男である竹田耕三先生による有松絞りのレクチャーがありました。
きもの カンタービレ♪

○有松絞りの歴史について、お話の中から抜粋φ(.. )

江戸初期のころ、名古屋城築城の折、九州からきていた城普請の職人の絞り染めの木綿
衣装(豊後絞り)をみた竹田庄九郎が三河木綿に絞り染めを施した手ぬぐいをつくって街道を
行きかう人々に土産として売ることを思いついた。

江戸後期、竹田嘉兵衛商店は麹町にも出張所があるほど大きな数字の商いをしていて、
この頃は4割りが絹製品。

明治になると尾張藩の保護が無くなり、さらに東海道が廃れていったことによって有松絞りは
苦境にたたされるが、それを切り開いたのが、鈴木金蔵の嵐絞り。
明治末期は絞りの大ブームで、嵐絞りの職人さんは毎日お昼に寿司を食べるといわれたほど。
※嵐絞りの工程は、蔵工房の見学のレポにて詳しく。その作品は別記事にて。

昭和には有松絞りの海外輸出がはじまり、意外なことにアフリカ向けに商品を輸出していた。
※アフリカ輸出向け商品は、張正さんで見せていただきました。

アフリカ向けに作られていた商品は劣悪で、それを嘆いた民芸運動の柳宗悦は岸田劉生
の弟子の片野元彦に美しい有松絞りの復興を託した。
それは見事に開眼し、片野元彦は素晴らしい作品を後世に残すことになる。

産地研修の翌日、片野元彦先生の貴重な作品を羽織らせていただきました。
技法の特性を生かし、見ている方が疲れるような欲張った感じが全くないのが片野作品の特徴。
きもの カンタービレ♪

絞りの見本帳と1992年(平成4年)有松にて開催された第一回国際絞り会議の様子
きもの カンタービレ♪

展示されていた、シンプルでありながらも技を駆使し贅沢な作品たち。
きもの カンタービレ♪
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縞木綿地に笹と可の文字が絞りで表されたもの。「笹加」は竹田嘉兵衛の屋号。
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪
絞り染めは浸け染めなので、白場が多い方が難しいそうです。
有松絞りを代表する蜘蛛絞り。
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手筋絞り?
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石垣三浦絞りと千鳥は縫い絞り?
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きもの カンタービレ♪

竹田耕三先生とカメラ
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この後は、母屋のお座敷にて手蜘蛛絞りと巻き上げ絞りの実演をみせていただきます。
別記事にてご紹介します(^-^)/

※撮影及び「きものカンタービレ♪」への掲載許可を竹田先生より頂戴いたしております。


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