有職文化研究所主催による「雑事抄を中心に宮廷装束を見る」勉強会へメモ

高倉流東京道場は雛の節句飾りがされていましたぼんぼり・・・?
きもの カンタービレ♪
高倉流は公家の御家なので、左上位の雛飾り。向かって右がお内裏さまとなります。
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『装束雑事抄』とは、衣紋道の家である高倉家に伝わる装束に関するアレコレを記した古文書のこと。
今回は「直衣衣冠の時のしたぐつの事…」のところから、仙石先生に読み解いていただきました。

直衣は本来は日常着ですが、天皇の許可をいただければ、直衣姿での参内も許されるようになります。
その際は、烏帽子の代わりに冠をかぶることとなりますが、身分、年齢によって、さまざまな
決まりごとがあるのです。
『装束雑事抄』を読み解きながら、決まりごとだけでなく状況に応じたその装いの違いを
学んでいきます。
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冠直衣、烏帽子直衣など、さまざまな状況に応じた直衣を学んだことで、ストンと落ちる
ように理解した事もありました。
それは、源氏物語「花宴」の箇所ででてくる、光源氏の直衣布袴(のうしほうこ)姿。
朧月夜の君と再会する右大臣邸に招かれての藤の花の宴。
「ー桜の唐の綺の御直衣、葡萄染めの下襲、裾いと長く引きて。皆人は表の衣なるに、あざれたる
大君姿のなまめきたるにて、いつかれ入りたまへる御さま、げにいと異なり。花の匂いもけおされて
、なかなかことざましになむ。ー」

※きもの文化検定1級問題としては、瀬戸内寂聴著の「源氏物語」より抜粋されて出題されています。
「ー桜襲の唐織物の御直衣に、葡萄染の下襲の裾を長く引いて、他の人々は皆、束帯の
正装のところへ、しゃれた皇子らしい装いのお姿も優雅に、人々にあがめかしずかれて宴席に
入っていらっしゃった御様子は、実に水際だっていらっしゃいます。ー」
 原文ママ

ちなみに、大和和紀著「あさきゆめみし」ISBN4-06-108961-7(0) (mi)講談社刊では、
「まるで山鳥の中に鶴が舞いおりたよう」と表現されているこの部分は、光源氏が美男子で
オシャレさんだったというわけではなく、正装の束帯の中で、華やかな直衣布袴の装束を纏える
身分であり年齢であり季節だったということです。 

宮中警護の時の側近の装束の項目では、「弓箭、剣をば帯するべからず」との記述が(=◇=;)
雛人形の武官の装束で気になっていたこれ↓老懸(おいかけ)という冠を固定するものです。
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直衣は日常着ですが、平安貴族のスポーツウエアといえるのが狩衣です。
狩衣は装束の下克上ともいえる、形式昇格の装束。
もともとは絹ではなく布(この時代は布といえば麻のこと)でつくられていたので、布衣(ほい)と
呼ばれた、盤領(あげくび)タイプの庶民の衣服のひとつ。
着用が簡単で動きやすいことから、上級貴族が鷹狩り用につかいはじめ、狩衣と呼ばれるよう
になり上級貴族が着用するようになって綾織物などの絹織物でつくられるようになります。
後には上皇の御所への出仕にも用いられるようになりますが、宮中昇殿は認められていない装束です。
こちらも、生地から紐に至るまで、季節と年齢で決まりごとがあります。
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以前、NHK文化センターでの衣紋道入門で講義された国際文化学園の篠原先生がお召しの
狩衣をどーなっているのか?ということで着脱していただいた時の写真
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『装束雑事抄』の狩衣の項目は次回に持ち越し。次回も楽しみです♪
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装束を勉強しだすと、雛飾りの見方がガラッとかわります(-_☆)
この時期は美術展も楽しみドキドキ 徳川美術館にも行かなくっちゃ。
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【2月1日の装い】
志ま亀の大津絵文様の小紋に鎧縅の織なごや帯で節分を意識したコーディネート。
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鬼もいるので、節分っぽいかしら…と。
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帯あげ、帯〆も志ま亀です。
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