本日は重陽の節句。でも京都は33℃…あせる
9月になったら単衣に衣更えといわれておりますが、体温と変わらないようなこの暑さ、しかも
夕方からは土砂降りになることもあり雨コートも着たりでは、単衣では見た目にも暑苦しいです。

薄物の許容範囲も、9月第1週まで→二十四節気の白露まで→重陽の節句まで…
そのあとは単衣にしたいなーっと思いつつもこの調子では、お彼岸まで薄物かもしれません汗

衣紋道たかくら会の重陽の節句の菊被綿(きくのきせわた)のつづき

重陽の節句にちなんだ室礼でした菊
きもの カンタービレ♪

高倉流宗会頭の仙石宗久先生のお話メモ
今回も内容が濃くて充実したお話でした!
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪
古代中国では菊は仙境に咲く邪気を祓い延命長寿の効能がある花とされています。
能の枕慈童(私がかつて習っていた宝生流ではこういいますが、観世流では菊慈童といいます)
という演目にもなっているお話なのですが、ザックリとご説明すると…、
魏の文帝の頃、勅使が酈縣山の麓から涌く霊水の源を探しに行くと菊の花が咲く山の庵で
少年と出会います。その少年は周の穆王に仕えていたというのです。
周というのは遥か昔の国(紀元前11世紀~紀元前256年?※諸説あり)の700年も昔の国のことで
いぶかしむと、少年は周の穆王に仕えていたが、王の枕をまたいでしまったことから、罰として
この山に配流されたとのこと。でも少年に悪意のないことを知って憐れんだ王が、その枕に法華経
の二句の妙文を書きそえて少年に与えました。その文字を菊の葉の上に写して書くと葉の露が
霊薬となって少年は700年も不老長寿のままだったというお話からきています。
菊に流水の唐織の能装束に枕慈童の能面が飾られていました。
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪
床のお軸に詠まれた歌は有栖川宮威仁親王殿下筆
「山人の折る袖にほふ菊の露うちはらふにも千代は経ぬべし」(新古今和歌集より)
藤原俊成(定家の父)が後鳥羽天皇の妃の入内に詠んだ歌だそうです。
有栖川流の書は、高松宮宣仁親王妃喜久子さま(お母さまは有栖川宮威仁親王の次女にあたります。
お爺様は徳川慶喜公)から常陸宮華子さま、秋篠宮文仁殿下に受け継がれているのだそう。
きもの カンタービレ♪

宮中では御座所の御帳の飾りを、端午の節句に飾られた薬玉から重陽の節句には
茱萸袋(ぐみぶくろ)に置き換えるのだそう。お香席での室礼にあります。
※あとで写真追加します。
茱萸袋もとは中国でしゅゆといわれたものだそうです。

菊被綿つくり体験の記事は夜にあげられるかな…σ(^_^;)

さて、これからきもの学に行ってきます('-^*)/


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