きもので週末旅行 諏訪のつづきです。
諏訪(現茅野市)に諏訪大社上社の神官長を古代から明治のはじめまで勤めてきた御家が
今も代々つづいています。現ご当主は第78代守矢早苗さん。
太古の昔よりある、ミシャグジ信仰の洩矢神(もりやしん)を祀った守矢一族の末裔です。
今もこちらにお住まいでいらっしゃいますが、敷地の一部を茅野市が管理し、資料館として
一般公開していらっしゃいます。
とてもいい空気が漂ってました
諏訪大社上社に祀られているのは、出雲大社の大国主命(おおくにぬしのみこと)の息子である
建御名方命(たけみなかたのかみ)とその妻の八坂刀売命(やさかとめのみこと)です。
古事記によると、建御雷神(たけみかずち)を恐れて出雲から諏訪に逃げ延びてきた建御名方命は
諏訪の守矢一族に勝ち、この地で現人神(あらひとがみ)となったとあります。その子孫が諏訪氏です。
武田勝頼の母の湖衣姫の実家でもあり、武人と神官の顔をもつ特異な家系となります。
建御名方命は二度と出雲には戻りませんと建御雷神に誓った為に、10月出雲にいかないので、
諏訪周辺も出雲同様に神無月でなく神在月というらしいです。
守矢資料館の方の説明によると、守矢氏は負けたものの大変頭がよく、建御名方命を現人神の
大祝(おおほうり)として崇めつつも、守矢氏が筆頭神長官として神事を司り、ミシャグジ信仰の
洩矢神(もりやしん)を祀った祭祀をつづけてきたのだそう。名より実をとったのですね。
守矢家に一子口伝で伝わってきた秘伝の神事は、明治維新後に世襲神官制が廃止され
神社庁の管轄になったことから現在にはほとんど伝わっていないとのことで残念です。
こちらが守矢資料館。建築史家の藤森照信先生の建築家デビュー作としてあまりにも有名。
藤森照信先生の実家はこのすぐ近くで、守矢早苗さんとは幼馴染なのだとか。
諏訪では神が宿る樹には鎌を打つことが習いになっていて、一位の樹に鎌が打ち込まれ
ています。鎌を打ったのは早苗さんと藤森先生と当時の茅野市長さん。
周りには熊笹が植えられているのも藤森先生のこだわりなのだそうです。
2階へは電動式の跳ね橋であがるようになっています。
常設展示は、毎4月15日(江戸時代までは旧暦の3月酉の日)に行われる御頭祭の供物が
再現されています。かつては75頭の鹿をお供えしたとのことですが、今は鹿肉と剥製の鹿
の頭を供えるのだそうです。75頭の鹿の中には必ず1頭耳が裂かれている鹿がいて、それは
高野の耳裂き鹿といわれる諏訪の七不思議のひとつ。七不思議も面白そうですね。
諏訪大社上社本宮で例大祭の神事の後、神輿行列を仕立て前宮に赴き十間廊で古式に
依る祭典が行われるそうです。神輿を担ぐ氏子さんの黄丁といわれる装束も気になります。
サナギ鈴はミシャグジ神の鈴。信玄やその父信虎が信濃攻略の和睦の際に神に誓う証
としてもつかわれました。御頭祭でつかわれる御贄柱も展示されています。
かつては御神(おこう)と呼ばれる8歳くらいの紅の着物を着た子供を御贄柱に縛りつけ
神官が小刀を振ると馬に乗った使者が現れ開放されるという神事があったそうで、
この神事と守屋山が古代イスラエルの話に相似していることから様々な説があります。
守矢家に伝わる古文書や諏訪上社に伝わる祭器も展示されています
原っぱの奥にいくと面白いものがあるから見ていくといいですよ~といわれ、丘を登っていくと、
ミシャグジを祀っているミシャグジ社がありました。オーラがあります
さらに丘を登っていくと、何だかジブリのアニメに出てきそうな光景が…
藤森照信建築の茶室、空飛ぶ泥舟と高過庵です
空飛ぶ泥舟の近くに寄ってみました
ますます、ジブリっぽい…(-。-;)
高過庵に向かってみます。
途中小さな祠がありましたが、4本の御柱に囲まれてました。
高過庵って、高すぎるという意味なのでしょう、中からは諏訪湖が見えるはず。
う~ん、ここでお茶をいただいたらどんな感じなのかしらん
織部もビックリ!ですよね。
田園風景の中に太古の昔の神の末裔が住む家と不思議な建物…。
訪れる人は歴史ヲタと建築マニアだそうです。
※館内での撮影ときものカンタービレ♪への掲載の許可を茅野市役所よりいただいております。
開館時間を過ぎていたにも関らず、とっても丁寧に詳細なご説明くださった守矢資料館の係の方、
ありがとうございましたm(_ _ )m
諏訪(現茅野市)に諏訪大社上社の神官長を古代から明治のはじめまで勤めてきた御家が
今も代々つづいています。現ご当主は第78代守矢早苗さん。
太古の昔よりある、ミシャグジ信仰の洩矢神(もりやしん)を祀った守矢一族の末裔です。
今もこちらにお住まいでいらっしゃいますが、敷地の一部を茅野市が管理し、資料館として
一般公開していらっしゃいます。
とてもいい空気が漂ってました
諏訪大社上社に祀られているのは、出雲大社の大国主命(おおくにぬしのみこと)の息子である
建御名方命(たけみなかたのかみ)とその妻の八坂刀売命(やさかとめのみこと)です。
古事記によると、建御雷神(たけみかずち)を恐れて出雲から諏訪に逃げ延びてきた建御名方命は
諏訪の守矢一族に勝ち、この地で現人神(あらひとがみ)となったとあります。その子孫が諏訪氏です。
武田勝頼の母の湖衣姫の実家でもあり、武人と神官の顔をもつ特異な家系となります。
建御名方命は二度と出雲には戻りませんと建御雷神に誓った為に、10月出雲にいかないので、
諏訪周辺も出雲同様に神無月でなく神在月というらしいです。
守矢資料館の方の説明によると、守矢氏は負けたものの大変頭がよく、建御名方命を現人神の
大祝(おおほうり)として崇めつつも、守矢氏が筆頭神長官として神事を司り、ミシャグジ信仰の
洩矢神(もりやしん)を祀った祭祀をつづけてきたのだそう。名より実をとったのですね。
守矢家に一子口伝で伝わってきた秘伝の神事は、明治維新後に世襲神官制が廃止され
神社庁の管轄になったことから現在にはほとんど伝わっていないとのことで残念です。
こちらが守矢資料館。建築史家の藤森照信先生の建築家デビュー作としてあまりにも有名。
藤森照信先生の実家はこのすぐ近くで、守矢早苗さんとは幼馴染なのだとか。
諏訪では神が宿る樹には鎌を打つことが習いになっていて、一位の樹に鎌が打ち込まれ
ています。鎌を打ったのは早苗さんと藤森先生と当時の茅野市長さん。
周りには熊笹が植えられているのも藤森先生のこだわりなのだそうです。
2階へは電動式の跳ね橋であがるようになっています。
常設展示は、毎4月15日(江戸時代までは旧暦の3月酉の日)に行われる御頭祭の供物が
再現されています。かつては75頭の鹿をお供えしたとのことですが、今は鹿肉と剥製の鹿
の頭を供えるのだそうです。75頭の鹿の中には必ず1頭耳が裂かれている鹿がいて、それは
高野の耳裂き鹿といわれる諏訪の七不思議のひとつ。七不思議も面白そうですね。
諏訪大社上社本宮で例大祭の神事の後、神輿行列を仕立て前宮に赴き十間廊で古式に
依る祭典が行われるそうです。神輿を担ぐ氏子さんの黄丁といわれる装束も気になります。
サナギ鈴はミシャグジ神の鈴。信玄やその父信虎が信濃攻略の和睦の際に神に誓う証
としてもつかわれました。御頭祭でつかわれる御贄柱も展示されています。
かつては御神(おこう)と呼ばれる8歳くらいの紅の着物を着た子供を御贄柱に縛りつけ
神官が小刀を振ると馬に乗った使者が現れ開放されるという神事があったそうで、
この神事と守屋山が古代イスラエルの話に相似していることから様々な説があります。
守矢家に伝わる古文書や諏訪上社に伝わる祭器も展示されています
原っぱの奥にいくと面白いものがあるから見ていくといいですよ~といわれ、丘を登っていくと、
ミシャグジを祀っているミシャグジ社がありました。オーラがあります
さらに丘を登っていくと、何だかジブリのアニメに出てきそうな光景が…
藤森照信建築の茶室、空飛ぶ泥舟と高過庵です
空飛ぶ泥舟の近くに寄ってみました
ますます、ジブリっぽい…(-。-;)
高過庵に向かってみます。
途中小さな祠がありましたが、4本の御柱に囲まれてました。
高過庵って、高すぎるという意味なのでしょう、中からは諏訪湖が見えるはず。
う~ん、ここでお茶をいただいたらどんな感じなのかしらん
織部もビックリ!ですよね。
田園風景の中に太古の昔の神の末裔が住む家と不思議な建物…。
訪れる人は歴史ヲタと建築マニアだそうです。
※館内での撮影ときものカンタービレ♪への掲載の許可を茅野市役所よりいただいております。
開館時間を過ぎていたにも関らず、とっても丁寧に詳細なご説明くださった守矢資料館の係の方、
ありがとうございましたm(_ _ )m