新宿伊勢丹で行われた紫織庵の川崎栄一郎社長による
「きもので過ごす京町家のエコライフ」トークショーへ
節電を余儀なくされている今の状況にふさわしい、エコハウスとしての京町家の魅力と暮らし、
さらに京都のきもの文化について語ってくださいました。
紫織庵さんは大正友禅の型を復刻した襦袢や着尺、浴衣のブランド。
私も羽織裏や雨コートの肩すべりなどに、紫織庵さんの生地を愛用させていただいております。
こちらが川崎栄一郎社長です。
川崎社長が平成9年までお住まいになっていたという、紫織庵は大堀造という京町家の
伝統的な建築様式の代表例。美の壺のオープニングでつかわれていた竹内西鳳の孔雀図
屏風が飾られていたり、無造作ながら立派なものばかり。以前、私も見学させていただきました。
詳細は2010年9月15日のブログ をご参照ください。
京町家はうなぎの寝床のような間口が狭く奥行きがある造りが特徴ですが、
碁盤の目状になった土地を、通りに面した戸数が多くなるよう割り当て有効利用したことに
よってなった形状だそうです。
間口の長さで税金が課せられるから間口が狭いというのは都市伝説のようなものとのことでした。
京町家の代表的な建築例である、表屋造と大塀造の図。
町家には必ず、採光と風の通り道を目的とした表庭と裏庭があって、表庭に日が射すと
裏庭との間に温度差が生まれ風が通り抜けるから涼しく過ごせるとのこと。
夏でもエアコンはいらないそうです。
打ち水の仕方で、京都に住んでいても京都生まれ京都育ちかどうかすぐにわかるそうで、
朝は表に撒き、午後は裏に撒く。必ず片方だけ打ち水をして温度差を作り風が抜けるように
するのが京都人とのことでした。
どちらにも水を撒いたほうが涼しそうな気がするのですが、違うんですね。
勉強になります。
そして室礼は、夏は障子から簾戸と御簾に代えて開放感をだし涼感を誘います。
私の実家は京都ではありませんが、いくつか京都と似たような習慣があり、
冬は雪見障子で夏は簾戸に代え御簾をさげます。
実家の夏の室礼。建物は町家造りでなく日本家屋です。
そして、とても興味深かったのは、京都のきもののお話。
現在のように衿をピッタリ合わせた着つけは、戦前は男性の着つけの仕方で、女性はゆったりと
衿を帯上で軽くあわせるくらいのゆる~い着つけだったのだそう。
(確かに昔の婦人画報で柳原白蓮とか九条武子とかご令嬢の方をみてもゆる~い着つけです)
今でも京都の80歳くらいの女将さんはそういう着方をする方がいらっしゃるそうです。
なので、半衿が見える量はとても多く、刺繍や凝った地紋のものがつかわれたと。
なぜ、キツキツで苦しい(私は慣れちゃっているので平気なのですが)着つけにするようになったの
かというと、戦後戦争に負けた日本に米軍がやってきたことにより、胸元に手を入れられることの
ないように、きっちりキツキツに着つけるように指導があったというお話でした。
ちょっと吃驚((((((ノ゚⊿゚)ノ
それから、京都では綿絽の浴衣や紅梅の浴衣をきもの代わりに襦袢を着用して着るのが
主流というお話もありました。
関東だと浴衣は夜着るものだけど、関西風に昼に着てほしいとのこと。
私も襦袢と足袋を着用して、軽いきもの代わりというのはアリだとは思っているのですが、
綿は絹や麻と比べると暑いですし、やはり着ていく場所によると考えてます。
今年の夏は、クールビズできものも軽装化、簡略化されていくとは思いますが、
能楽堂やコンサートホール、ホテルのレストランでの浴衣のきもの代わりはむずかしいかも。
ただ、紫織庵さんの綿絽の浴衣は一見小紋のようにも見えるので、水洗いできるという
利点もありますし←これはポイント 普段きものとしては、いいかもしれませんね
※衣替えのお話で、素袷についてもあったのですが、私とは違う解釈でいらっしゃったので、
ここでは省かせていただきます。
トークショーでは、「着物のことばかり考えて暮らしたい」というブログをやっていらっしゃる
母鳥さんと偶然お会いいたしました。
とっても素敵な私も大好きな図柄タイプの綿縮をお召しでじっくり見させていただきました
こういったモダンでありつつ、しっかりした柄がある夏着尺、探してもみつけられなかったのです。
しかも、大好きな鳥の和更紗文様
博多献上帯とパキっとした帯〆合わせていらして素敵なコーディネートでした。
紫織庵さんのトークショーの後、呉服売り場にて千切屋治兵衛さんの反物をみせていただきました
千切屋治兵衛さん、やっぱり素敵ですとりあえず、次回の三四十会まで考えることに。
「きもので過ごす京町家のエコライフ」トークショーへ
節電を余儀なくされている今の状況にふさわしい、エコハウスとしての京町家の魅力と暮らし、
さらに京都のきもの文化について語ってくださいました。
紫織庵さんは大正友禅の型を復刻した襦袢や着尺、浴衣のブランド。
私も羽織裏や雨コートの肩すべりなどに、紫織庵さんの生地を愛用させていただいております。
こちらが川崎栄一郎社長です。
川崎社長が平成9年までお住まいになっていたという、紫織庵は大堀造という京町家の
伝統的な建築様式の代表例。美の壺のオープニングでつかわれていた竹内西鳳の孔雀図
屏風が飾られていたり、無造作ながら立派なものばかり。以前、私も見学させていただきました。
詳細は2010年9月15日のブログ をご参照ください。
京町家はうなぎの寝床のような間口が狭く奥行きがある造りが特徴ですが、
碁盤の目状になった土地を、通りに面した戸数が多くなるよう割り当て有効利用したことに
よってなった形状だそうです。
間口の長さで税金が課せられるから間口が狭いというのは都市伝説のようなものとのことでした。
京町家の代表的な建築例である、表屋造と大塀造の図。
町家には必ず、採光と風の通り道を目的とした表庭と裏庭があって、表庭に日が射すと
裏庭との間に温度差が生まれ風が通り抜けるから涼しく過ごせるとのこと。
夏でもエアコンはいらないそうです。
打ち水の仕方で、京都に住んでいても京都生まれ京都育ちかどうかすぐにわかるそうで、
朝は表に撒き、午後は裏に撒く。必ず片方だけ打ち水をして温度差を作り風が抜けるように
するのが京都人とのことでした。
どちらにも水を撒いたほうが涼しそうな気がするのですが、違うんですね。
勉強になります。
そして室礼は、夏は障子から簾戸と御簾に代えて開放感をだし涼感を誘います。
私の実家は京都ではありませんが、いくつか京都と似たような習慣があり、
冬は雪見障子で夏は簾戸に代え御簾をさげます。
実家の夏の室礼。建物は町家造りでなく日本家屋です。
そして、とても興味深かったのは、京都のきもののお話。
現在のように衿をピッタリ合わせた着つけは、戦前は男性の着つけの仕方で、女性はゆったりと
衿を帯上で軽くあわせるくらいのゆる~い着つけだったのだそう。
(確かに昔の婦人画報で柳原白蓮とか九条武子とかご令嬢の方をみてもゆる~い着つけです)
今でも京都の80歳くらいの女将さんはそういう着方をする方がいらっしゃるそうです。
なので、半衿が見える量はとても多く、刺繍や凝った地紋のものがつかわれたと。
なぜ、キツキツで苦しい(私は慣れちゃっているので平気なのですが)着つけにするようになったの
かというと、戦後戦争に負けた日本に米軍がやってきたことにより、胸元に手を入れられることの
ないように、きっちりキツキツに着つけるように指導があったというお話でした。
ちょっと吃驚((((((ノ゚⊿゚)ノ
それから、京都では綿絽の浴衣や紅梅の浴衣をきもの代わりに襦袢を着用して着るのが
主流というお話もありました。
関東だと浴衣は夜着るものだけど、関西風に昼に着てほしいとのこと。
私も襦袢と足袋を着用して、軽いきもの代わりというのはアリだとは思っているのですが、
綿は絹や麻と比べると暑いですし、やはり着ていく場所によると考えてます。
今年の夏は、クールビズできものも軽装化、簡略化されていくとは思いますが、
能楽堂やコンサートホール、ホテルのレストランでの浴衣のきもの代わりはむずかしいかも。
ただ、紫織庵さんの綿絽の浴衣は一見小紋のようにも見えるので、水洗いできるという
利点もありますし←これはポイント 普段きものとしては、いいかもしれませんね
※衣替えのお話で、素袷についてもあったのですが、私とは違う解釈でいらっしゃったので、
ここでは省かせていただきます。
トークショーでは、「着物のことばかり考えて暮らしたい」というブログをやっていらっしゃる
母鳥さんと偶然お会いいたしました。
とっても素敵な私も大好きな図柄タイプの綿縮をお召しでじっくり見させていただきました
こういったモダンでありつつ、しっかりした柄がある夏着尺、探してもみつけられなかったのです。
しかも、大好きな鳥の和更紗文様
博多献上帯とパキっとした帯〆合わせていらして素敵なコーディネートでした。
紫織庵さんのトークショーの後、呉服売り場にて千切屋治兵衛さんの反物をみせていただきました
千切屋治兵衛さん、やっぱり素敵ですとりあえず、次回の三四十会まで考えることに。