東京ミッドタウン内THE COVER NIPPONにて行われている
ニッポンブランドマイスター講座「奄美大島紬の技に迫る」公開講座へメモ
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪

興ほずみさんのお話と伝統工芸士の高木のり子さんの機織り実演がございました。
きもの カンタービレ♪

興ほずみさんは、男性社会だった大島紬の世界で、女性の立場から自分が着てみたい柄を考案
されているそうで、30年目に本場奄美大島紬協同組合グランプリで最優秀作品に選ばれたそうです。
以来3年連続計4回グランプリを受賞されていらっしゃいます。
グランプリ受賞作品の数々です。
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪

奄美大島では江戸時代に平民は絹織物の着用禁止令があり薩摩藩に上納品として納めねば
ならず、せっかく織っても着用が許されていませんでした。
農家の主婦が自分で織った絹織物を上納品としてとられないように泥田に隠したところ
取り出した時に、車輪梅で染めた茶褐色が驚くほど美しい黒に染め上がっていたことから
大島紬の泥染が始まったと言われています。
薩摩藩への上納品だったころは、無地か縞で、明治中期に締機が開発されてたことによって
今のような細かい絣柄が織られるようになったとのことでした。
これは代表的な伝統柄の龍郷柄。蘇鉄の葉やハブの鱗が文様になっています。
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こちらは大島紬の設計図。赤い部分が絣になるところで締機で織られ泥染後に解く部分。
反物はすでに売れてしまったそうなので比べることができず残念~。
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪
締機で絣模様を織る前に、整経で揃えた糸を糊で固めます。
糊張りにつかうイギスという海藻。食べても美味しいそうです。
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大島紬の最大の特徴は二度織るということ。
締機の経糸に綿糸をかけ、絣糸にする生糸を緯に通して、図案にしたがって強く締めつけながら
仮織りし、絣筵をつくります。これは大変力がいる仕事なので男性の仕事だそうです。
締めた部分は泥染めしても白く残り、この部分が絣で表される模様になります。
絣糸の数を表す単位がマルキ。
1マルキは絣糸は80本。 数字が大きくなるほど絣糸の本数は多くなります。
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原料の絹糸(国産のものは特注品くらいでほとんどが輸入ものだそうです)
絣つけする前に糊張りした糸。絣筵になったもの。車輪梅で染めたもの。泥田で染めたもの。
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部分解きしたもの。摺り込み染色したもの。絣解きしたもの。
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伝統工芸士でいらっしゃる高木のり子さんによる機織りの実演。
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一反織りあげるのに模様合わせを200回近く繰り返すそうです。
織った時ぼやけた印象のものを針を使ってズレを直し一目一目絣柄を整えていきます。
こうした細かい作業をすることで絣足のようなぼやけたところがなくなり精巧で緻密な柄が
織りあげられます。スゴいです~ラブラブ
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪

通常の絹織物(縮緬や綸子など)は一反680gくらいですが、大島紬は一反450g
そのうち50gが染料の重さだそうです。
泥染によって鉄分で絹糸をコーティングすることになり、水に強く汚れにも強く虫もつかない
とっても着やすいきものになるのです。
分業工程の手間を考えるとけっして高いものではないと思いますが、きものを着ることが
非日常の贅沢とされがちなことにより、高級品化されてしまった感じがいたします汗

着物産業のどこでもいわれている話ですが、今回も賃金の安さにより生活できず後継者不足に
なっているお話がございました。
一家相伝で受け継がれていくのが自然だとは思いますが、義務教育の後からでは遅い気が
いたします。
英語教育を必須科目にするよりも、地元の伝産物の課外研修を必須科目にするようにしたら
どうでしょう。地域の活性化につながるとも思うのですが…。
分業制によって行われている技術はどれが欠けても成り立たなくなってしまうものばかりです。
日本の美しい伝統産業工芸品、次世代に受け継がれていくことを心より願っております。
私に協力できることは購入して着て歩くことくらいでしょうか。
ご協力いたしましょう!←できるだけ。


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