早稲田大学で行われている「きもの学」の公開講座へメモ
ポーラ文化研究所の主任研究員でいらっしゃる村田孝子先生の講座です。
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪

装束の歴史を紐解いていくと、高貴な身分の人はそれを象徴するために、
あえて動きにくいものを身につけたという大袖の歴史がありますが、
女性の化粧や髪型も(江戸時代以前は)労働をしていない象徴、日に当たらない白い肌で、
黒く長く垂らした髪が高貴な美しい女性像とされていたそうです。

安土桃山時代に自然に髪を束ねるようになり、江戸時代になるとさらにバリエーションが
ふえ数百種に及ぶ髪型があったといわれています。
江戸寛永頃に描かれた「彦根屏風」(彦根城博物館蔵)には垂髪と唐輪髷を結った女性、
「湯女図」(MOA美術館蔵)には垂髪を束ねた下げ髪や下げ髪の先端を丸めた玉結びの
女性が描かれています。
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江戸時代の女性の髷は兵庫髷、島田髷、勝山髷、笄髷の4つにわけられるそうです。
【兵庫髷】唐輪髷の簡略化で、最初は遊女の髪型だったが後に一般女性の髪型に。
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【島田髷】若衆髷を東海道島田宿の遊女が取り入れ、その後未婚女性の髪型として定着。
今でも結婚式に結われる文金高島田は結ぶ位置が高い島田髷のひとつです。
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【勝山髷】江戸吉原の遊女勝山が結い始めた髷。
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【笄髷】先に紹介した3つは遊女から一般女性へ流行していったものですが、
笄髷は上流階級から一般女性へ流行した髷。江戸中期に京阪で流行した既婚女性の先笄
や年輩女性向けの両輪髷が代表例です。
鶴の骨に蒔絵を描いた笄。
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先笄と島田髷の女性が描かれた月岡雪鼎の「琴上飛花図」
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江戸時代前期に髷が生まれ、髷に加えて長く後ろへ延びたた髱が結われるようになります。
髱の形がカモメの尾羽に似ていたことからカモメ髱といわれますが、江戸明和、安永頃には
着物の襟につくことを懸念して鶺鴒髱をいわれた反り上がるように結う形になっていきます。
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髱をあげるのにつかう髱刺し。
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江戸天明、寛政頃には髱が引っ込んで鬢が横に広がる髪型が流行。
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燈籠鬢をつくるのにつかう鬢刺し。
きもの カンタービレ♪
江戸末期になると、再び髷中心の流行になっていきました。髪結いにつかう紙縒りの元結。
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江戸時代の化粧のお話、白粉、紅、お歯黒、眉剃りのお話もございました。
江戸時代は、未婚か既婚か、身分、関東か関西か(分かれ目は岡崎辺り)によって髪型や
化粧が違うので、見た目で判断できたということですね。

時代劇の時代考証は、勉強していくにつれ「う~ん…」(-"-;Aっと思うほどいい加減だということが
わかってしまいますが、化粧や髪型はさらに「え~っ!」( ̄□ ̄;)!!っとなります。
でも実写版でリアルにお歯黒や眉剃りをされた女優さんをみたいかというと、みるのが怖い気が
いたしますので、それはそれで仕方がないのかと。
装いの歴史がわかりかけてくると、日本画や浮世絵をみることがさらに楽しくなります。
もう一度、サントリー美術館の「その名は蔦屋重三郎」を鑑賞したくなりました。←12月19日まで。

きもの学の講義の後は、リーガロイヤルホテル早稲田にてお茶コーヒー
きもの カンタービレ♪
紫根染のきものに雪の結晶とガス灯の冬の街が描かれたクリスマスに合わせた装い。
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪

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