早稲田大学で行われている「きもの学」の公開講座へメモ
今日はとっても楽しみにしていた共立女子大学の長崎巌先生の講座です。

母が若かりし頃に着ていた、志ま亀の菊唐草の小紋に菊文様の貝合わせの染め帯を
コーディネート。志ま亀の独特な発色は染色堅牢度が低いようで、太陽光線で結構
色焼けしています。染色堅牢度の話についてはまた後日書くことにいたします。
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪

小袖の変遷のお話だったのですが、実に濃い内容で、ブログにまとめあげるのは至難の業。
ものすごく長い記事になってしまいましたので、ポイントひらめき電球マークつけておきました。
※写真撮影、ブログ掲載ともに主催者及び長崎先生に許可をいただいております。

「良い写真使ってねドキドキ」とのことなので、昨年のパーティーでの写真よりカメラ
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪

きものの原型である小袖の歴史は、平安時代から。
貴族階級が着用した大袖(袍、下襲、唐衣、袿など)の袖口が大きく開いていたのに対し、
庶民が着用した衣服が筒袖で袖口が小さかったことから小袖と言われるようになりました。

支配する側は労働をしなくてもいいことを誇示。手足が動きにくいものを着る。これが大袖。
支配される側は労働する為に動きやすいものを着る。こちらが小袖。
昔は視覚的に身分を表現することが重要だった。一種の洗脳というお話。←ポイントひらめき電球

平安末期の院政時代に、武士の頭領であった平清盛に公家の装いを許したことから、
公家社会の身分制度が崩れ、これが武士の台頭のきっかけになる。
支配されるものが支配する側と同じものを着た時に身分制度は崩れるというお話。←ポイントひらめき電球

筒袖であった小袖に袂をつけることが、労働階級からの解放された象徴であり、成り上がった
ことを意識する為のものであった。これが今のきものの原型になった小袖である。←ポイントひらめき電球
武士もフォーマルな場においては、公家の服制。(位が上であれば朝廷の儀式もあり)
公家の大袖の簡略化ともいえなくもない一番上の見えるところが大袖の大紋を着るようになる。

桃山時代になると町人は大袖には縁がないが、麻の小袖を着ていたのが絹の小袖を着るようになる。
(ちなみに木綿の普及は江戸中期以降)
成り上がった地点で、麻から絹になる。←ポイントひらめき電球
同じ絹の小袖でも、町人と武家の小袖は技法が違う。
町人は絞り、辻が花染。武家は縫箔(刺繍と摺箔)辻が花染も縫箔つき。
経済力の差は形や模様でなく、技法にでる。←ポイントひらめき電球

社会の表に出るのは男性なので、武力支配から心理的政治支配により男性は着るものは
指定されるが、奥にいる女性は自由であり、社会全体でみてみないふりをすることによって、
裕福町人の贅沢な小袖が生まれました。

桃山時代の小袖。(身分による技法の違い)
きもの カンタービレ♪
江戸初期、裕福町人と武家の類似した意匠構成。技法だけが違う。(生地は綸子、練緯)
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪
江戸、寛文年間(1605年~)町人も武家も技法が同じになる。
裕福な町人の出現により、町人と武家の経済力の差がなくなったことによる。←ポイントひらめき電球
小袖のエポックメーキングとなった寛文小袖。
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
江戸、元禄時代に友禅染の発明。
糊防染と色挿しによって、多彩で絵画的表現ができるようになった。
生地も絵画的表現に合う縮緬をつかうようになる。←ポイントひらめき電球
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
18世紀前半の裕福町人と武家の小袖。武家は綸子をつかい、縫箔のものが主流。
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
18世紀半ばの腰模様の小袖。伊達紋がついています。
家紋は公家から始まり、後に武家に取り入れられますが、町人は女性のおしゃれ紋のほうが
家紋よりも先かもしれないというお話。まだ確証はなく調査中とのこと。
きもの カンタービレ♪
18世紀後半~19世紀前半の公家と武家、裕福町人の小袖。
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪
公家は織物に近い刺繍などの小袖を好み、裕福町人は公家や武家に近づこうと綸子の生地
を好む人がでてくる。

公家も小袖を着るようになると(公家男子は別?)、小袖が身分や性別を超えて
衣服の中心的存在になると、小袖を「着るもの」という名称で呼ぶようになり、やがて「着物」と
よばれるようになりました。←ポイントひらめき電球

明治維新後、武士がいなくなり、欧米諸国に対する近代化のアピールのため洋装化が進む。
洋装は「西洋服」とよばれる。「洋きもの」という言葉にはならなかった。
戦後、「西洋服」とはよばれず、ただ「服」といわれるようになった。

18世紀後半からのお話は、駆け足で話されていましたの、私もちょっと割愛いたしております。

長崎先生のお話、1時間半でしたが、あっという間でした。
とても、興味深いお話ばかりでした。
衣裳の変遷がわかると、また違った面から歴史がみえてきます。

現代のきものの工程やコーディネートも楽しいですが、きものの歴史も面白いです合格


きもの カンタービレ♪ Facebookページ