京都市のアンテナショップである京都館主催の「京(みやこ)みやびサロンin丸の内」へ。
その道の研究家や学者先生でなく、実際に京の伝統文化や歴史を伝承し続ける方の
お話をお聴きすることでできる講座ですメモ
きもので参加すると割引サービスもしてくださり、とってもお得合格
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪

今回は、京都で104年の歴史がある大江能楽堂主宰、観世流能楽師の大江信行さんのお話です。

元来、能は屋外に能舞台が設置され行われるものだったので(舞台に屋根があるのはその名残り)
能楽堂が作られるようになったのは明治以降です。

大江能楽堂は明治41年に大江家5代目大江竹雪によって創建されました。
大正8年に現在の形になり大戦中も取り壊されることなく残った明治の面影を残す貴重なもの。
阪神大震災でも歪まなかったというか、もともと歪んでいたっと笑ってお話くださいましたが、
平成13年に基礎部分の大改修をされたそうです。
普通、能楽堂は白木の舞台に舞台装置の照明ですが、大江能楽堂は、年季の入った黒光りする
舞台に自然光の入る趣ある能楽堂です。

この方が、大江信行さん。大江家8代目でいらっしゃいます。
きもの カンタービレ♪

ワークショップ慣れしていらっしゃるというか、とても話がわかりやすく面白かったです。
背が高くていらっしゃるので、装束のお誂えはさぞかし大変だろうと、思わずお訊きしてしまい
ましたが、お父様も背がおありになるとのこと。
昔の唐織の厚板などは裾あげされているところをだしたり、上下分かれているものは低い位置
で履いたりしてますとおっしゃっていました。
そして、装束は糸の違いから昔と同じものはつくることができないというお話も。
昔と同じものをっとお願いしても、現在は糸は中国産のものが多く、どうしても染めムラができ
てしまい風合いも違ってしまうそうです。

高砂を謡ってくださいました。
きもの カンタービレ♪

能が今の形になったのは江戸時代、徳川幕府の抱えになってからのこと。
この頃より、式次第(番組)ができて『翁付五番立』になりました。

ちなみに、五番立とは
初番目 神(脇能)高砂、老松、岩船など
二番目 男(修羅物)敦盛、実盛、巴など
三番目 女(鬘物)羽衣、胡蝶、野宮など
四番目 狂(狂女物)(雑能)砧、隅田川、巻絹など
五番目 鬼(切能)土蜘蛛、殺生石、石橋など

現在はこの長い番組はほとんどみられず、能二番の間に狂言一番をはさむ番組がほとんど
ですが、五番立の順序は重視されています。

興味深かったのが、『能面』のお話。
能面は左右非対称に作られているそうで、左側は明るく目は上を向き、右側は暗く目は下を
向いているそうです。
頰も左右で違い、それによって角度で表情が変わって見えるというお話でした。
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
小面、男面、大飛出(雷電?)、般若
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
実際に面をかけさせていただきました。わずかな光が見える程度、ほとんど見えてません(゚_゚i)
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪

大江さんは、能役者として能と文楽人形の共演など新しいスタイルの舞台もされていくそうです。
能と文楽、浄瑠璃は同じ古典芸能であっても今までは横のつながりはほとんどなかったそうですが、
古典+古典 古いものを結びつけることによって新しいものを生むことができるとおっしゃっていました。
その強い思いがあれば、またそれが新しい伝統になっていくかもしれませんね。
大江能楽堂という、個人で所有するには貴重すぎしかも大きすぎるものを継承し、代々つないでいく
ことは並大抵のことではないと思いますが、強い信念をお持ちの方でいらっしゃいました。

実は私、大学時代は能楽研究会に所属。宝生流で仕舞、謡をやっておりました。
全国学生能楽連盟に所属していたこともあり、年に何回か日本全国の能楽堂の舞台に立つ機会が
ございました。今思えば恵まれた環境だったんですよねぇ。
卒業後はつづけることができず、(在学中もサボり気味でした汗)能の世界からは縁遠くなって
しまったのですが、こうしてお話をお聴きするとまたあの幽玄の世界にどっぷり浸かりたくなります。
京都にいった際には、大江能楽堂、ぜひ訪れたいと思っております。


きもの カンタービレ♪ Facebookページ