御召のお話を聴きに日本橋高島屋のトークイベントへメモ

秋も深くなってまいりましたので、紅葉のきものもそろそろ終わりでしょうか。
昨日銀座のアンティークきもののお店で一目惚れし、迷わず購入した
稲穂と鳴子に雀の織なごや帯をコーディネート。
もう稲刈りの季節は終わっちゃってますかね(゚ー゚; 
もとは袋帯だったそうですが、なごや帯にお仕立てなおしてあったので、
なごや帯派の私にはうれしいかぎりラブラブ
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪

こちらが矢代仁の岡本巧さん。 
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪

御召とは御召縮緬といわれるように縮緬の一種です。
縮緬と違うのは、糸の段階で精錬し、糸を先染めしたあとで織りあげること。
緯糸には御召緯といわれる特殊な強撚糸(矢代仁さんでは1mに3000回転)をつかって
撚りが戻ろうとする力を利用し、生地の表面にシボをだします。

御召は、かつて「しじら」とよばれた布がルーツで、その起源は古墳時代まで遡ります。
天正年間には支那の織工が堺にて明様の撚糸と組織を伝え、西陣へ伝わったとされています。
御召の名前の由来は、もとは貴人のための衣裳の尊称を御召料といい、特定の技法の織物
のことをさしたものではなかったのですが、11代将軍徳川家斉の御召料に、先染め縮緬が含まれ
ことのほか愛用されたことから命名されたのではないかとのことでした。

御召の種類には、矢代仁さんがつけた名前だけでも50数種類あるそうで、かつては機屋ごとに
名前があったそうです。

明治17年 ドビー機(前機の綜こうだけであげさげする機)ジャガード機の導入により、
紋御召や風通御召、が大ヒットする。
明治20年 太い経糸、緯糸で織られた金剛織
明治35年 大島紬の流行の影響で、締機を使って織られた大島御召、中国刺繍に挑戦した高級品
である縫取御召、シボが大きい鶉御召

っと、書いていたらキリがないので、この辺りで…σ(^_^;)

大正6年に完成させた錦紗御召。
この時代、最高級の絹糸は輸出用だったそうですが、細い糸を使う錦紗縮緬のために
矢代仁さんがキープし、他のところでは真似ができないものをつくったとのこと。
最良の極細強撚糸で、精良な経糸を使用し、筬が密になることで、軽くて着やすい御召を
つくることができたそうです。裏に細い糸が出ているのがわかりますでしょうか。
1反分12m織りあげるのに13万8千越つかうそうです。(通常は12mに4万越くらい)
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪
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錦紗御召のように細かいものは別のようですが、通常の御召は張りはありますが、縮みやすい
ものなので、通常の湿度だけでも縮むと思っていたほうがいいと言われました汗

この反物はとくに何もしていないけれど縮んだものだそうです。
巾に大きな差ができているのがわかります。
きもの カンタービレ♪

参考資料の各地の御召生地。
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経糸の絣括りしたものです。御召は経絣なのも特徴のひとつ。
きもの カンタービレ♪

矢代仁さんはもとは誉田屋のひとつで、中誉田屋といわれるお家だそうです。
今でも行事やお墓参りは上
誉田屋、下誉田屋さんと一緒にされるとか。
誉田屋さんといえば、帯問屋の老舗ですが、もとは一緒なんですねぇ。



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