十二単とは、高貴な方に仕えた女房の出仕時の衣装のことで、身分の高い方と同席をする場合、臣下のほうがより改まった服装が求められたために着用した衣裳のことです。
当時は女房装束、唐衣裳(からぎぬも)などといわれており、それに付属するものを物の具(もののぐ)といいました。

十二単というのは後世になって生まれた俗称だそうです。十二単という名前から12枚重ねるものと思われがちですが、基本は8枚。重ねる打衣の枚数が5枚になったころから五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)といわれます。十二単という言葉がでてくるのは「源平盛衰記」の中で、壇ノ浦に身を投げる平清盛の娘であり
安徳天皇の母である建礼門院平徳子の装いが「弥生のころなれば藤がさねの十二単を召されたり」とかかれているのが最初とのことでした。

現在では皇室の方々が特別な行事の際に着用されています。その際の髪型はお大(おだい)といわれる大垂髪(おおすべらかし)で、江戸時代末期からされるようになりました。

装束の構成は2010年10月15日のブログ をご参照くださいませ。
今回は、現代と平安期の着装の違いを見比べてください。

左)現代の五衣唐衣裳(十二単) 右)平安期の十二単(モデルさんが3人入れ替わります)
御直衣同様、現代は小袖を着用しますが、平安期は小袖は着用せず単からになります。
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
わかりやすく大きな違いは、この後ろ姿。
現代は唐衣の上に裳をつけますが、平安期は表着に裳をつけその上から唐衣を着用します。
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪
装束を解かれる時は抜け殻のようにスッポリでます。
蝉の抜け殻のようですね。


きもの カンタービレ♪ Facebookページ