ブログにて、洛風林さんの帯をご紹介した際に、コプト織についてチラッとだけ
ふれましたら、ブログを見てくださっている方から「コプト織とゴブラン織って関係が
あるのでしょうか?」というメール手紙をいただきました。

コメントは受付けておりませんが、メールによるお問い合わせやアメブロのメッセージ
には、できるだけ個別でお答えするようにいたしております。
※Twitterはつぶやきっぱなしで、あまりフォローしてませんm(_ _ )m
お返事はすでにさせていただいたのですが、了解をいただきましたので
自分の覚書程度のものを、ブログにもあげておきます。

コプト織もゴブラン織も綴織です。
綴織は模様を織りだす方法としては最も古く、エジプトのコプト織は3500年前くらいから、
中国の剋糸織は2000年前から織られているといわれています。

コプト織は、3世紀から12世紀にわたって織られた、生成りの亜麻糸の経糸と染色した羊毛の
緯糸の平織で、ほとんどが埋葬用の衣服や覆い布として墳墓から見つかっています。
※模様に関しては2010年10月6日のブログをご参照くださいませ。

コプト織りの技術はビザンチンやイスラムの影響をうけつつ、十字軍の遠征により
西ヨーロッパへ伝わります。

ゴブラン織とは、本来タペストリーのことで、織りの技法のことをさすものではありませんでした。
語源は、15世紀からフランスで人気を博していたゴブラン兄弟の染織工房に、アンリ4世が
技術者を招いて作らせた王宮用のタペストリーが有名になったことから、この綴織の技法が
ゴブラン織といわれるようになったそうです。
後にルイ14世が国営化し、ゴブラン織は全盛期を迎えます。
シュテファン ツヴァイクの名著『マリーアントワネット』の中でマリーアントワネットがフランスへ
嫁ぐ時に、オーストリアとの国境で全裸になり全てフランス製のものに着替えさせられる
シーンがあるのですが、そこにはゴブラン織のタペストリーがあるという設定でした。
(ベルバラ薔薇ではゴブラン織はでてきません)
今では、ゴブラン工房で作られたものとは関係なく、機械で織られたウールや木綿の絵画的な
織物はゴブラン織とされ、フランスの代表的な織物として室内装飾やバッグなどにつかわれています。

明治初期に渡欧した川島甚兵衛(川島織物二代目)はゴブラン織に魅了され、
帰国後この技法を取り入れ素晴らしい作品を残しました。

現在西陣で織られているゴブラン織は、西洋の絵画的なタペストリーの風合いを太めの絹糸で
織りだしたもので、おもに帯がつくられています。

ちなみに、祇園祭のタペストリーは綴錦のことが多いようですがゴブラン織もあります。

フランス製機械織りのゴブラン織の生地でつくられたバッグ。
タペストリーの風合いは全くございませんが、油彩画のよう、絵画的です。
このワンちゃんわんわんの可愛さに一目惚れ恋の矢 家に連れて帰ることに。
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪

このゴブラン織のバッグたちは、日本橋三越で開催されている「フランス展」で購入。
日本橋三越「フランス展」のポスターです。フレンチブルドッグが可愛い(≧▽≦)!
きもの カンタービレ♪きもの カンタービレ♪
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