「きもの学」発展講座 受講2日目メモ

美術史家 今井淳先生の講義。
“美術”という言葉は、明治6年にウィーン万博に日本が出展するにあたり、
出品する品物の区別名称として使われるようになったそうです。

ウィーン万博のパビリオン↓
きもの カンタービレ♪

明治4年に西本願寺で行われました博覧会が日本ではじめての博覧会。
その翌年には、西本願寺、建仁寺、知恩院にて第一回京都博覧会が開催され
多くの外国人が詰めかけました。
そこで二人制の空引き機をみた外国人に「子供をつかって織るなどもってのほか」と
指摘されたことにより、佐倉常七がフランスのリヨンに派遣されジャガード機を
持ち帰ることとなったそうです。
ちなみに、この博覧会で外国人をもてなすために裏千家11代玄々斎が創案したのが
立礼席のはじまりです。

上村松園の実家が葉茶屋のちきりやさんというお話も興味深いものでした。
お爺様が呉服の千切屋さんの番頭さんをしていたことから屋号をいただいていたというお話も初耳。
上村松園は女性だけあってきものの描写も正確だそうです。
東京国立近代美術館で開催されている「上村松園展」で、じっくり見てきたいと思っております。

上村松園のこの絵のきものと写真のきものが全く同じことから
モデルが実在していたということがわかったというお話。
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪

友禅染に貢献した三大美術家、竹内栖鳳、今尾景年、神坂雪佳のお話。
江戸期までは日本画は遠近法も影もなかったので、この手法が用いられるようになったのは
竹内栖鳳がパリ留学してからのことだそうです。

竹内栖鳳の描いた見事な打掛はお孫さんに伝わっています。
羽織られている素敵なお写真もあるのですが、一般の方ですので公開は控えました。
とても素敵な方です。
きもの カンタービレ♪

千總の12代西村總左衛門は京都画壇の画家に図案を描いてもらうことを思いつき、御所の襖絵も
描いていた名門岸派の岸竹堂に依頼します。
岸竹堂は武士の血筋だったため、友禅の下絵をすることに対して、商売人の下絵を描かせるのか
とはじめは怒ったそうですが、熱意に負け画工の顧問になります。それをきっかけとし当時の一流
画家が千總の図案を手がけることになっていきます。

今、千總ギャラリーでそれらの作品を観ることができます。12月14日までの展示です。
きもの カンタービレ♪

ランプシェードには和傘の日吉屋さんの古都里が使われていました。
きもの カンタービレ♪ きもの カンタービレ♪