皆々様方ごきげんよう。
さて、今まで紹介してきた内容はいかがだったでしょうか?
今回から今まで紹介してきた内容を振り返って纏めて
振り返ってみたいと思います。
今まで調査して気付いた事、それも交えて記事UPいたします。
先祖を遡ってUPしましたが、
さらにわかりやすくするために廷臣八十八卿列参事件・・・
これに関与した方々の2代先代からみると、彼らの関係はどのような
ものになるのか?
それも交えてUPします。
藤原鎌足・内臣→
藤原不比等・右大臣→
藤原房前・贈左大臣正一位→
藤原真楯・大納言→
藤原内麻呂・贈太政大臣従一位→
藤原冬嗣・贈太政大臣正一位→
藤原長良・贈太政大臣正一位→
藤原清経・参議→
藤原元名・参議→
藤原文範・中納言→
藤原為雅・備中守→
藤原仲清・内匠頭→
藤原範永・摂津守→
藤原良綱・周防守→
藤原孝清→
藤原範孝→
藤原宗隆→
藤原実隆→
藤原範昌・大蔵少輔→
藤原永経・宮内卿→
冷泉永賢(藤原永賢)・中務少輔→
冷泉永忠(藤原永忠)・中務権大輔→
冷泉範賢(藤原範賢)・長門守→
高倉永季・参議→
高倉永行・参議→
高倉永藤・参議 →
高倉永豊・権中納言→
高倉永継・権中納言→
高倉永康・参議→
高倉永家・権大納言→
高倉永相・権中納言→
高倉永孝・権中納言→
高倉永慶・権大納言→
高倉永敦・権大納言→
高倉永重・兵部大輔→
高倉永房・権大納言→
持明院宗時・権中納言 →
持明院基武・右近衛権中将→
持明院基敦・右近衛少将→
持明院基延・権中納言→
◎持明院基政・右兵衛督→
◎持明院基和・持明院家第29代当主→
持明院基静・養子(父は 飛鳥井雅典)・持明院家第30代当主→
持明院福子(父は富小路貞直)・持明院家第31代当主→
持明院基哲(父は石野基佑)・持明院家第32代当主→
持明院基揚・持明院家第33代当主→
持明院基邦→
持明院基武・右近衛権中将→
持明院基敦・右近衛少将→
持明院基延・権中納言→
◎持明院基政・右兵衛督→
◎持明院基和・持明院家第29代当主→
持明院基静・養子(父は 飛鳥井雅典)・持明院家第30代当主→
持明院福子(父は富小路貞直)・持明院家第31代当主→
持明院基哲(父は石野基佑)・持明院家第32代当主→
持明院基揚・持明院家第33代当主→
持明院基邦→
ここの部分を更に深堀りすると・・・
持明院基武・右近衛権中将→
妻:
1776-1807 基敦
持明院基敦・右近衛少将→
妻:(父:参議 今城定興)
1792-1855 基延
1795-1859 高野保右(高野家へ)
1800-1850 河鰭実利(河鰭家へ)
持明院基延・権中納言→
妻:広橋定子(父:権大納言 広橋胤定)
1810-1868 基政
1817-1869 高野保美(高野家へ)?
定子(左近衛権中将 高野保美室?)
延子(左近衛権少将 花園公総室)
◎持明院基政・右兵衛督→
妻:富小路福子
1834-1865 基和
1845-1922 留子(夫:子爵 伏原宣足)
幕末に公家として活動し、明治から昭和にかけて神職や政治家としても活躍した。安政3年(1857年)に元服し、昇殿を許され、安政6年(1859年)には左兵衛権佐に任じられる。明治9年(1876年)に家督を継承し、明治17年(1884年)には子爵に叙される。賀茂別雷神社と賀茂御祖神社の宮司を務めた後、明治26年(1893年)に貴族院子爵議員に当選し、大正14年(1925年)まで在任した。
1849-1913 治子(夫:男爵 若王子遠文)
山城国京都で生まれた。天保14年(1843年)に聖護院の門跡に入り、得度して雄厳と名乗り、大僧正盈源の附弟となった。若王子を相続し、住職や少僧都に就任。熊野三山奉行職や住心院室住職を兼務し、慶応2年(1866年)には大僧正となる。慶応4年(1868年)に復飾し遠文と改名。その後、海軍総督を補佐し、大坂に出張する。明治2年(1869年)、堂上格に列し、従五位下に叙される。1884年(明治17年)には男爵となり、1890年(明治23年)に貴族院男爵議員に選出され、2期在任した。
◎持明院基和・持明院家第29代当主→
安政勤王八十八廷臣の一人
妻:
1860- 久子(夫:持明院基静および子爵 持明院基哲)
1862- 治子(夫:男爵 藤枝雅之)
旧姓・飛鳥井。
安政2年(1855年)に京都で生まれた。元治元年(1864年)には興福寺清浄院を相続し、慶応2年(1866年)に得度して住職に就任。慶応4年(1868年)に復飾し、春日社神勤・新神司となる。明治2年(1869年)、堂上格に列し、家号を藤枝に改名。明治8年(1875年)に華族となり、明治17年(1884年)には男爵に叙爵。1890年、貴族院男爵議員に選出され、通算2期在任した。神職や宮内官としても多岐にわたる職務を務め、政治家としても活動した。
1858-1902 (養子)基静
持明院基静・養子(父は 飛鳥井雅典)・持明院家第30代当主→
妻:持明院久子(父:持明院基和・・・安政勤王八十八廷臣の一人)
持明院福子(父は富小路貞直)・持明院家第31代当主→
夫:右兵衛督 持明院基政
1862-1925 (養子)基哲
持明院基哲(父は石野基佑)・持明院家第32代当主→
山城国京都で生まれ、1881年(明治14年)に持明院家の養子となり家督を継いだ。1884年(明治17年)、子爵に叙せられる。京都宮殿勤番や殿掌を歴任し、1906年(明治39年)には貴族院子爵議員に当選、1期務めた。歌人としても高い評価を受け、歌会始で披講の発声を担当するなど、その才を発揮した。また、書にも秀でた能力を持っていた。
妻:持明院久子(父:持明院基和・・・安政勤王八十八廷臣の一人)
1884-1957 基揚
1891- 敏子(夫:福井尊法)
1896- 宏子(夫:南坊城良修)
1897- 綾子(夫:大道弘雄)
1899-1970 季子(夫:男爵 鷲尾光遍)
持明院基揚・持明院家第33代当主→
妻:伏原仲子(父:子爵 伏原宣足)
1910-1990 基邦
1914- 紀紹(妻:豊田タエ1922-)
1916- 基子(夫:梶野敏一)
1919- 恭雄
1928- 昌夫
1931- 能和
1933- 信光
1934- 章子(義母:藤井千津子)
1936- 耿世
持明院基邦→
妻:富永敏子1921-(父:富永永太郎)
1953- 美千子(夫:市野雄二)
1955- 光彦(基光)
1957- 晃代(夫:中江一津夫)