あいしん
「愛心」
愛する心
愛とは、日常的に使う場合、文句なしに「いいもの」だ。
しかし、仏教の世界では、愛は、苦しみのもととされている。
確かに、何かを愛することから、多くの苦しみが生まれる。
愛する人が自分を愛してくれなかったら苦しい。
愛する人が亡くなれば文字通り死ぬほど苦しい。
愛する人を誰かに奪われたら、呪ってしまうこともある。
愛さなければ苦しまずにすむ。
だけど、人は誰かを、何かを、どうしても愛する。
仏教では、苦しみのもととなる愛は手放せ、という。
しかし、その一方で「慈悲」という言葉がある。
慈悲もまた、誰かへの思いであり、愛情によく似ている。
慈悲は、悲、つまり、自分の心を「非ず」として、相手の心になってしまうような思いなのだそうだ。
愛は、自分の心は自分の心として、相手の心を自分のものにしようとする。
慈悲は、自分を愛してくれない相手の心をそのまま、受け止める。
どうしても振り向かせようとか、相手の恋人に嫉妬するとかいう気持ちは起こらない。
もちろん、そんなことは簡単にできたりしない。
でも、真の慈悲に満ちた人は、愛が裏切られて痛烈な苦しみに悶える時も、一心に、相手の心の様子に自分の心を重ねてみることが出来る。
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「慈悲」という言葉で最初にピンときた人は、
マザーテレサさん〓
1979年に受けたノーベル平和賞受賞時のインタビューで、「世界平和のために何をしたらいい?」と尋ねられた彼女の答えはシンプルなものであった。
「家に帰って家族を大切にしてあげて下さい」〓
マザー語録の中で最も印象深い言葉を紹介します〓
「愛の反対は憎しみではなく、無関心」〓