昨日は友人の奥様のお通夜に行ってきました。

 

悲しい知らせのという記事に書いた友人の奥様のお通夜です。

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ここから少しスピリチュアルな話も混じるので、嫌いな方はスルーしてください。

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だいぶ昔なんですが、私はたくさんのスピリチュアルな体験をした時期がありました。

怖い体験もとても多くて、私が唯一信頼している霊感の強い方に度々助けていただきました。

 

それが不思議なことに転勤していた北陸時代に集中していて、関東に戻ってからはかなり治まっています。

 

ただ、サイキックアタック(スピリチュア用語)を受けてる(?)と思う出来事が最近とても多く用心していたんです。

※ 私はその正体は身近な人間の怒りのエネルギーだと思っています...。

 

昨日はお通夜に向かう車の中から、左肩が重く・痛くなってしまい、「まずいな...あせる」って感じていたのです。

 

葬儀場に着くと、もの凄く頭・首・肩が痛くなってしまい、悲しみからくる「念」のようなものかな?と感じていました。

私はこういう時の緊急時用に「塩」を持ち歩いていて、いつもは直ぐにそれを使用するのですが、葬儀が浄土真宗だったため(清めの塩を控える風習)使用するのを躊躇って我慢しました。

 

式が進行し、喪主である友人の挨拶になった時、いかに奥様が素晴らしい方であったか、治療や余命宣告に対しても弱音を吐かず「私は本当に幸せな人生だった」を話し続け旅立ったことを話してくれたら、すーーっと念のようなものがとけて楽になりました。

 

参加者が、故人の旅立ちに心からご冥福を祈った結果のような気がしてなりません。

とても良い式でした。

 

癌と余命宣告されて1年足らずでしたが、その間、体調の良い時はご旅行にも行かれたようで、奥様も残された家族もこの期間でお別れの心の準備が出来たと言っていました。

 

よく考えたら、亡くなる当日の朝は普通に会話し、午後に様態が急変し亡くなったのなら「痛み」や「恐怖」を感じず、大好きな家族に見守れて旅立たれたのは幸せだったのかも...と思えるようになりました。

 

友人も娘さん達も気丈に対応されていて立派でした。

亡くなれた奥様が39歳という若さで切ないのですが、「私は本当に幸せな人生だった」と言えるのは素晴らしいと思えます。

 

今時の葬儀はスマートフォンで追悼ムービーをを観ることができるようなQRコードもついていて、ご家族が仲良い場面を拝見することもできます。

ほほえましい場面もあり、本当に温かな式だったなぁと思います。

 

丁度本日のYahooニュースに良い記事が載っていたのでLinkを貼っておきます。

 

 

偉人の良い言葉が載っていました。

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「充実した一日が安らかな睡眠をもたらすように、充実した人生は安らかな死をもたらす」
レオナルド・ダ・ヴィンチ(イタリアのルネサンス期を代表する芸術家)

 

「明日死ぬかのように生きろ。永遠に生きるかのように学べ」
マハトマ・ガンジー(インド独立の父として知られる政治指導者)

 

「重要なのは何年生きたかではなく、それをどう生きたかです」
エイブラハム・リンカーン(第16代アメリカ合衆国大統領)

 

「生きるとは、この世で最も稀なことである。ほとんどの人は、ただ存在しているだけなのだ」
オスカー・ワイルド(アイルランドの詩人・劇作家)

 

しみじみ「生きることを大切にしよう」と思いました。