ウィングパパのドッグレスな日々 | ディアのハッピー犬ライフ & ウィングのシニア犬ライフ

ディアのハッピー犬ライフ & ウィングのシニア犬ライフ

2歳目前に新しい家族になった
ディアの日々と
18歳3ヶ月で虹の翼をもらって虹の橋へ行った
ウエスティ ウィングの思い出

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ウィングを失ってから、100日が過ぎた。

 私は朝一度4時頃に目が覚める。

かつては、ウィングがどこで寝ているかな?と
その息づかいを感じ取ろうとしていた。

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この部屋でスヤスヤ寝ているか?
もう目覚めて、静かにドアの外で待っているのか?


耳を澄ませば、だいたい位置がつかめた。

5時ぐらいになると、どこにいても私の部屋に入ってくる。
朝ご飯は、定時に起きる私をあてにしているからだ。

頭でドアを押し開ける、「ボフ」という鈍い音。
これで、ウィングが入ってくるのがわかる。

5時半までは、それでも私を起こすまいと我慢していた。
やさしい子だ。

5時半を過ぎると、わざと、「はあ、はあ…」と息づかいをして、
「プルプルプル、チャリチャリチャリ」と耳を振る音、
首輪の音をさせて、あくまでもやんわりと起こそうとする。

それでも起きないと、おなかもすいてしびれを切らして、
「ウォン、ウォン」と起こした。
あまり遅いと噛み付く様に吠えて起こしてくれた。


 18年間聴いていた、あの息づかい、あの音、あの声、
見上げる眼差し、あの姿、あのやさしい感触…

 今、耳鳴りで、朝早く目覚める。

 あのやさしい音を聴こうと耳をすませると、
「チーーン」とひたすらに耳鳴りがするのだ。


 18歳にもなって生きていたウィング。

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この日が来ることは、火を見るより明らかだった。

しかし、ひょっとすると20歳まで生きてくれるのでは、
と淡い期待をもっていた。

 
夜帰るのも、さびしいものだ。

 若い時は、かすかな音でも聞きつけて、
リビングドアのガラス窓から、しっぽを元気よく振ってお出迎えしてくれた。

妻が先にて寝ていても、必ず出迎えてくれる、あの幸せ。

一日闘って、帰ってきてよかった、と思う一瞬。

 高齢となり、耳が聞こえなくなると、
私が帰ってきたことに気づかないで寝ている時が多くなった。
そして、私が帰ってきたことに気づくと、恥ずかしそうにしていた。

だから、帰ってきてからウィングが気づくと、
リビングのドアに後戻りして
ウィングがあたかも自分で気づいて
お出迎えができたように設定して、
そのお出迎えに感謝して体中マッサージをした。

年を取っても必ず、しっぽをたくさん振ってくれた。


 その後は必ず、「狩猟犬ごっこ」をせがまれた。

 10分間ほどの「狩猟犬ごっこ」。
約2万年ほど前から始まったという、
「狩猟共生隊」である犬と人間の関係にもどった。

ウィングは、何と死の三日前まで、
この「狩猟犬ごっこ」という犬の務めを果たした。

終生、現役狩猟犬だった。


 休日の朝がまた、ぽっかりと穴の開いたような時間となった。

 ウィングは、私の休日を一週間心待ちにしていた。
朝の挙動で、「あ、今日はお休みだな。」と察知していた。

 車に乗って、どこかに連れて行ってもらうお楽しみを
心に描いているのは明らかだ。

 ズボンを履く時のベルトの音に敏感に反応して飛んでくる。
仕事のスーツズボンと、アウトズボンのにおいを嗅ぎ分けて

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期待通りのズボンだと、歓喜の声を上げた。
「ウォー!ウォウォン!」
「私は準備できてます!」
「早く狩りに行きましょう!」
「ママもぐずぐずしないで!」と、大騒ぎ。

 お定まりのコースは、お台場、城南島、豊洲、
葛西臨海公園、ゲイトブリッジなど。

至福の時間と空間を共有した。

 ウィングを楽しませてあげることが、私たちの楽しみだった。

 
18年間、夫婦で海外旅行は行かなかった。
しかしこの夏、海外旅行を計画したかというとそんなこともない。

 ウイング亡き後 犬同伴では入れなかった
浜離宮や、築地の海鮮店にも入った。

しかし、だから何だというのか。
いつも、犬と入れるレストランを探していた。

妻も言っていた。
「やっと探して入れてもらった、
あの堂ヶ島のお店のイカは最高だった。」

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pet loss そして続く dog less days


 ウィングが旅立ってから、100日経過。

私たちは、このdog less daysを終生続けるべきか?
または、もう一度犬を飼っても良いのか?
定年を前にした私は悩むところだ。


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