「あの時は泣いてしまった」「一生忘れることができない」。 生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)で議長を務めた松本環境相は、30日未明の閉幕後の記者会見でそう語った。難航を極めた末に土壇場で採択された「名古屋議定書」を巡る交渉の舞台裏は——。 18日からのCOP10で、生物遺伝資源の利益配分ルールである同議定書の議論は、先進国と途上国の対立が続いた。終盤に入った27日、交渉担当者が「無策のまま決裂するか、努力して失敗するか」と松本環境相に迫った。打開策は、先進国と途上国双方の主張をくんだ議長案の作成だった。 「最終盤にいきなり出した案が通るはずがない。大臣に恥をかかせるのか」と異論も出たが、最後の切り札として担当者による徹夜の議長案作りが始まった。 未明までの協議が物別れに終わった29日朝、松本環境相は各国に議長案を示した。残り時間は半日だ。午後2時頃、欧州やアジア、南米などの閣僚ら約80人が会議室に集まった。遅れてきたのが最強硬派とされるアフリカ諸国の閣僚数人。入るなり激しい主張を約10分間続け、政府関係者も「もう採択は無理と思った」。だが、その閣僚は最後に「しかし我々は議長案をスタートにしたい」と述べた。 事実上採択が決まった瞬間だった。万雷の拍手がわき起こり、松本環境相は涙をため、かすれ声で「皆さん、ありがとう」と言った。最後の全体会合が開会する約1時間半前だった。 日本政府の交渉担当者は「国同士の利害と、議定書をまとめなくてはいけないという思い。どちらが強いのか最後まで分からなかった」と振り返った。