或春の日暮です。
唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました。(略)
杜子春は相変らず、門の壁に身を凭せて、ぼんやり空ばかり眺めていました。空には、もう細い月が、うらうらと靡いた霞の中に、まるで爪の痕かと思う程、かすかに白く浮んでいるのです。
小学6年生の光村図書の国語の教科書で、出てきた芥川龍之介の杜子春。
その時は「なんで門の下で立ってるの?そんな必要あるの??」と思った。
この年になって、その気持ちがよくわかる。
私もぼんやりベンチに座っていると、、
・前かがみに、気ぜわしく大股でウオーキングする人
・川の向こう岸のベンチでずっと話し込んでるJKかJD
・嬉しそうに犬の散歩する人
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この人たち、それぞれに、どんな人生なんだろうなと、焦点の合わない目で、目の前を通る人を見るとはなしに眺める。
自然と頭に浮かんだのが「死を意識して生きていこう」
人生100年時代というけど、いつかは死ぬ。 不老不死はない。
死ぬまでに、何をしたいのか、お金や時間をどこにさくのか、考えて動こう
そんな暖冬の公園のベンチで、杜子春と仙人を想う。



