希望そのものが現在の幸福なのだ。

 

希望は貧しい者を幸いなりと讃え、疲れた者や重荷を負う者、

いやしめられ悔られた者、飢えた者や死に瀕した者を引き受ける。

 

なぜなら希望は、彼らのための王国の来臨を知っているからである。

待望は生をよきものにする。

 

なぜなら待望することによって、人は彼の全現在を受け取ることができるのであり、

喜びにおいてのみならず苦しみにおいても喜びを見いだし、 

幸福のみならず痛みにおいても幸福を見いだしうるからである。

 

そのように希望は、幸福をも痛みをも貰いていく。

なぜならそれは、過ぎゆくもの·死にゆくもの·死せるもののためにも、

未来を神の約束において見るからである。


J.モルトマン,『希望の神学―キリスト教的終末論の基礎づけと帰結の研究 (現代神学双書 (35))』 高尾 利数 (訳)


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