プロローグに続く、本論第1回です


写真とは何か
光が描くものを言葉に置き換える散文的作業には冗長の苦痛が伴う
写真という言葉も忌まわしく
ただ、光の描くもの、それが”Photograph”の全て 


万分の一秒のシャッターも瞬間をとらえるには長すぎる
夜通しの露出も森羅万象の記憶には短すぎる
一瞬の感情を確かな一閃の光に換え、
叙事詩を想起する比喩を平面の光る紋様に表す
時間を超越し、永遠の記憶に昇華する


喩えていえば、「写真」(Photograph)は詩歌であり
「映画」(Movie)は小説である
“a movie”は”photographs”に微分できない
同様に”a photograph”の積が”a movie”ではない
私は一閃の光の断片を重ねて表現していきたい
連続する散文の集積としての時間ではなく


写真は作庭にも似ている
自然が生み出したそのままの素材を使いながら、
そこには作家の創作の意思が確かに表現されている

光を直覚的に画像に変換する原理を用いながら視覚そのままではない
光自体が持つタッチを活用しながら、光に従属するわけではなく
絵画では得難いタッチやテクスチュア(質感)を表す


写真に対する解釈、目的、表現の価値観の差異、技の巧拙、
得られる画像はさまざまではあるが
確かにそこに一人の人間の眼がある


Club Winelight

光は完璧なsurfrider

Club Winelight
水は自在なタッチで光を描く