水玉のワンピース - v 1.2 | spica's blog

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♥水越けいこさんの作品と歌を語るフォーラム


 6月2日花フェスタ記念公園(岐阜県可児市)での2ステージ・イベント。その第1部で♥水越けいこさんは「水玉模様のドレス」でお歌いになったという。参加したファンのひとりが♥けいこさんのブログにそう書いていたのをいま読んだ。素敵だったという。さもありなん。

 筆者の心はざわめく。それならば何としてでもこの目で見たかった。聴きたかった。もしも...もしも...そのドレスで、あの曲をお歌いになったのならばなおのこと。


 ♪「春の匂いに丘をくだる 固く手を握って
  今も大事なワンピースの 水玉がゆれていた」

    -- 『葡萄棚の下で』(詞・曲:水越恵子)< "Ane-mone"




 ここで少し自分探しをする。筆者が歌の主人公を歌い手さん自身に重ねて聴き始めたのは、ごく最近けいこファンになってからのことだ。それまで何十人も内外の歌い手さんを聴いてきたけれど、そんな風になったことはない。その理由はいろいろあるだろうが、ひとつは多分これだろう。♥けいこさんのお歌については、筆者は一曲ごとでも、ポートフォリオ全体としても、「かなり深く聴き込んだ」からだ。他の歌い手さんについてはそういうことはなかった。もう一つ思いついた理由らしきものは後記する。

 断っておくが、筆者は詞の内容が作者の実体験かどうかに関心を持っているわけではない。それは、詞とは常に実体験と創作の混合体であって、作品ごとにその混合比が異なるだけだというのが筆者の持論だからだ。それに♥けいこさんのすべての持ち歌について、上で言う重ね合わせ(以下同化とも言う)が起こるわけでもない。現に辛い、哀しい状況下にある主人公については同化は起こらないのだ。だから♥『15日・雪』や♥『Cryin' in the rain』を聴いていても、そこに♥けいこさんご本人が降り立つことはない。きっと筆者の頭の中で何かがそうなることを無意識にブロックしているのだろう。

 この部分は本論から外れるが、♥けいこさんのお歌の中には、上と対照的に、主人公イコール♥けいこさんであると、いわば客観的・普遍的な判断を下せるものもある。これは筆者がということではなく、どんな気質のどんな聴き手でもそう判断できるものだ。直ぐ思い浮かぶ例としては♥『fantasia』や♥『ゆるやかな時間』などがある。一歩進めて♥『Sunset Lover』、♥『いつだってボーイフレンド』、♥『少し前、恋だった。』などもこの括りに含めるかどうかは、議論の余地があるかもしれない(この議論の場が実現できたら、ファンとしてさぞ愉しい時間が持てることだろう)。

 主題の「水玉模様のドレス」に戻る。どのようなドレスであったかは上記のコメントには書かれていない。それで筆者としてはワンピースであったと勝手に思いたい。言うまでもなく、♥『葡萄棚の下で』を聴くたび、水玉のワンピースを着た(主人公ではなくて)♥けいこさんご本人が「あなた」と手をつないで若草の丘をくだる美しい情景を想像する筆者にとっては、そうでなくてはならないからだ。この歌の詞は筆者に同化を呼び起こさずにはおかない。これはおそらく憧れが形を変えたものに違いない。憧れの対象には、だから、♥『15日・雪』の主人公のような悲嘆にくれてほしくないのだろう。

 手でつかもうとすれば儚く消えてしまう筆者の頼りない同化現象などではなく、水玉のワンピースをお召しになったリアルな実体としての♥けいこさんが、現に目の前に存在している幸せをしみじみ噛みしめることができたはずだった...そう、あの日あの時あの場に自分が居合わせていたら。



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 ☞  ♬  ♥『葡萄棚の下で』(唄:♥ 水越けいこ)
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【改訂歴】
・2015-06-05 <v 1.1> ♥『葡萄棚の下で』ビデオへのリンク挿入