【ポルトガル~1】エヴォラ | 拓かれた時間の中で

拓かれた時間の中で

今日出会い、思い、感じたこと。一つでもよいから、「明日」の元気につながれば・・・。

「スペインを旅する予定なのですが、ポルトガルはどんな感じでしょうか?」と、去年、大学時代の恩師とワイングラスを傾けながらお聞きしてみた。
「折角ならポルトガルまで、行ってみた方がよいよ。スペインとはまた違った素晴らしい景観が広がっているから」と、先生にアドバイスをいただいた。

 

折角旅をするのであれば、ポルトガルと言えば「コルク樫」。
元々、大西洋からの強い風から大地を保護するために植えられたと聞いていたので、どれだけの樹高なのか、あるいは植生密度がどうなのかなど、あれこれ想像していた。
しかし、実際に聞くのと見るのとでは大違い。

 

エヴォラが存在する「アレンテージョ(Alentejo)」は、「テージョ川の下」とか「テージョ川の彼方」と意味するとされるが、テージョ川はポルトガルの南北を分かつ一つの地理的指標。
世界の約7割近くのコルクを産出すると言われるポルトガルにあって、中でもアレンテージョ、さらにエヴォラはその代表的な街。
ちなみに、「エボラ出血熱」の発症地はここではありません。

コルク樫は広範囲に植えられていて、想像していたほど樹高は高くない。スペインでよく見かけた糸杉のほぼ半分程度の高さ。
私がワインを飲み始めた頃、7年に1度のみ樹皮を剥いでコルク用に使うことが認められていると聞いていたが、今は9年~10年に1度だという。


「ワイン文化史研究家」と語ると、「ワイン文化って、何のこと?」という質問を受けることが稀にある。
ワインを保管しておくものって何だろう、飲むために必要となるものは何だろうと想像してみる。聖書を読めば「腰にぶら下げている皮袋から葡萄酒を飲む」という表現に当たると思うが、昔は「皮袋」で保管されていたのだとすれば、どういう動物の皮だったのだろうなど、想像力が沸くはず。
もちろん、現在のようにガラス瓶が使われるようになったのは、いつから、どうしてなのだろう。蓋をするためのコルクはいつから使われていたのだろうなどなど、ワインに限らず我々の生活全般がどのような背景によって変化してきたのか知りたくなる。
中には、そんなことを学んで何になるのかと言う方もいらっしゃると思うが、これが新たな産業の育成や身近に転がるビジネスのためのヒントになることが山のように転がる「知恵の宝庫」なのだ。

 

 

そんなエヴォラにコルク樫をもたらした人は誰なのかなどを考えるまでもなく、この街には、ローマ時代からの遺構が残されている。


そうそう、コルクで作られた数々の商品があり、着用している人は見たことないが「ビキニ」まであるのだから驚くわけだ。

 


そういうわけで、「ワイン文化史研究家」の私にとって、この街は立ち寄るに十分な価値のある街であったのだ。