カルロス・ゴーンの「答えは会社のなかにある」―会社を変えたリーダーの再生と復活の語録/カルロス ゴーン
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最近、本を継続して読む気力が落ちていてスランプ気味だ。

朝の電車は眠くてしょうがないし、

帰りの電車は試験問題を見たり、

プロジェクトのことを考えている。


書籍執筆の筆も進まないし。

こんな時は無理せずにいよう。


朝の電車は瞑想タイムで、ひたすら呼吸に意識を集中して

少しおちつくこととする。


さて、そうは言っても、日産について少しおさらいをしておかねばならないのを思い出し

図書館から借りてきた本を読んでみる。


まぁ、現在のプロジェクトでの僕の出来ることと

CEOとしての出来ることとはかなり違うが

何かしらの学びは無いかなとおもったりしてみる。


社員を奮い立たせるというのも

プロジェクトメンバーを奮い立たせるのもなかなか難しいな。


で、結局は自分のいつもの信念と同じところに目が行く。

こういう時は、得てして調子が悪い時

調子が良い時は、自分の考えと違うところに目が行くのにな。


成否を決めるのは計画5%、実行95%である。


現在のプロジェクトは、まさに計画を立案している段階

その後の実行段階で、どれだけのメンバーが本気でやってくれるか。

あと2ヶ月半の僕のリーダーぶりにかかっているかもしれないな。




プロレス団体NOAHの三沢社長が試合中に意識を失い、お亡くなりになったという衝撃的なニュースが駆け巡った週末だった。

僕はG馬場さんが亡くなられてから、殆どプロレスを観ることは無くなった。

G馬場率いる全日本プロレス、アントニオ猪木(当時は坂口社長だったかな?)が率いる新日本プロレスの2団体の勢いがあった時
メガネスーパーがスポンサーとなり、WOWOW放送が決定していたSWSという新団体が設立された。

その時、天龍源一郎をはじめとし、大量の全日本プロレス所属レスラーが移籍してしまった。
当時の僕には、馬場社長を裏切った選手たちとしか映らなかったのだが。。。

その危機的状況の中、全日本プロレスを盛りたて、ついには武道館を満員にする人気にまで押し上げた若手選手たちの中心が三沢選手だった。

その受身の上手さから、激しいやられっぷりを見せながらも、決してファンを裏切らない全力ファイトでプロレスファンを魅了し、押しも押されぬ日本プロレス界のエースとなった三沢社長

たったバックドロップ一発で帰らぬ人となってしまう訳がないと思ってしまう。
全力ファイトの長年のダメージの蓄積もあったのではないだろうか。

死因について医師から、「脳も脊椎も損傷は無い」との言葉があったという記事があった。

日本テレビの地上波放送打ち切りなど、経営としてもかなり苦労されていたのでは無いだろうか。
ファンのため、所属選手のため、泣きごとを言わずに頑張ってきた三沢社長に
神様が「もう、それ以上頑張らなくて良いよ。お疲れ様。」
そう言って天に召されたのでは無いだろうか。

貼り付けたYOUTUBEの映像は、ジャンボ鶴田のバックドロップ43連発だが、
後半は三沢社長の見事なやられっぷりばかりだ。
天才的な受身で、これ程までに壮絶にやられっぷりを見せてきた三沢社長が
バックドロップ一発で帰らぬ人となる訳がない。。。と再度思う。
ダライ・ラマのビジネス入門 「お金」も「こころ」もつかむ智慧!/ダライ・ラマ14世
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ダライ・ラマがビジネスを語るというこの企画も凄いが、

ダライ・ラマの考えや洞察力は本当に凄い


以前「会社は誰のものか?」ということが話題になったが

仏教視点から見れば全く持って答えは一つ

所有者は無く、ただ人類の幸せという目的のために存在しているものなのだ。


意思決定のプロセス

まず考えるべきことは、なそうとする行為の裏にある意図である。

意図は善良なものでなければならない。

少なくとも他人に害を及ぼさないもの

避けられない場合は害が最小限になる配慮が必要


次にリーダー自身とプロセスに関わる人々の心理状態

自己防衛やねがでぃぶな心理的要因が生まれた場合にはそれを自覚し

心を落ち着いて集中した状態に戻す必要がある。


意思決定の因果関係は仏教思想の

「縁起」-原因結果の法則、行動と結果の法則

「無我」-相互依存

「無常」-永久に存在するものは何一つない


「心のトレーニング」は僕はぜひとも押さえておきたいポイント


例えばあなたが批判されるとすぐに怒り、むきになる性格だとしよう。

その場合、怒ったりむきになったりするのではなく、その状況から何か学ぶことはないか、

思慮深く分析するように自分を条件づけることができるのだ。

その結論次第で、行動も変わってくる。

批判されるとむきになるという自動的な反応に代わって

広い心で耳を傾けるという自動的な反応が生まれたのである。


実は、最近だがやっと少しずつ出来るようになってきた。

プロジェクトでも批判的な意見が出たりしても

結構冷静に「なぜ、この人はこういうことを言うのだろうか」

自分の考えはどうか?相手の考えはどうか?周囲の状況はどうか?

を考えられるようになってきた。進歩だ。


ビジネスや収益について


Pドラッカーの言葉


ビジネスは収益という言葉では定義も説明もできない。

企業とは何かと聞かれれば、典型的なビジネスマンなら

「収益を上げるための組織」と答えるだろう。

経済学者もまた、同じ答えをすると思われる。


が、この答えは間違っているだけでなく、的外れでもある。

収益の最大化という概念は、実のところ無意味だ。


収益性は事業の目的では無く、事業の可能性を限定する要素なのだ。

収益は企業活動における意思決定の説明、原因、根拠となるものではなく、

それらの有効性を測るものだ。


企業は社会の一部なのだから、ビジネスの目的はビジネス自体ではなく

それを取り巻く社会にあるべきである。



タイの高名な学僧P・A・パユット師の言葉


仏教では経済活動は高潔で良い人生を送るための手段であるべきだと考えます。

生産、消費、その他の経済活動は、それ自体が目的ではありません。

これらはあくまで手段であり、それにより導かれるべき目的は、

個人、社会、環境の福利の向上です。


さてさて、事業戦略プロジェクトを行っているが

企業の目的をきちんと忘れないようにしよう。

ヤマダ電機の品格―No.1企業の激安哲学/立石 泰則
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プロジェクトが始まってからというもの

このブログも更新頻度が極端に落ちてしまった。


プロジェクトのことを考えたり、執筆のことを考えたり

技術系試験のことを考えたり

ただでさえ狭いキャパシティなのに頭がいっぱいだ。


7月3日にヤマダ電機のSCDをやろうと思っていたが、

こちらは1dayコンサルティングが入った都合上

9月となってしまった。まぁ、8月末まで忙しいからいっか。


さて、ヤマダ電機なのだが

圧倒的な安売り競争とシェア拡大を続けてきた。

外国人投資家からのCBによる資金調達で店舗拡大を行ってきて

とまることの許されない拡大ロードに乗ってしまっているのではないだろうか。


そんな中、ケーズデンキの社長のコメントは確かに気になる。


経営は経営者が交替しながら。つまりバトンタッチをしながらずっと続くものです。

終わりのない駅伝ですから、その途中で一位になっただけじゃ意味がないんですよ。

昨年よりも今年、今年よりも来年、と毎年強くなりたいとは思いますが

大きくなりたいとか、順位をあまり気にしちゃいけないんじゃないかな。


最初は、負け惜しみのコメントかな?とも思っていたが

やはりヤマダ電機は横社会での優位性の追求

ケーズデンキは縦社会での優位性の追求

なのではないかと思ってきた。


さて、今後の両者の展開が楽しみだ。

壁を壊す/吉川 廣和
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7年で経常利益を10倍にした老舗企業の破壊的改革

というサブタイトルがついていた。


変革については、いささか食傷気味になってきた。

というよりも、この本のスタンスが僕にはあまり響かなかった。


しかし、なかなかのインプットが2点


残念ながら「べき論」には責任も具体策もない。

口先だけの掛け声なら誰にでも出せる。


それに対しひとつのことを実際にやり抜くには、

客観的なデータと綿密な計画と、勝算と

これらをベースにした情熱と覚悟が必要になる。

さらに、途中に立ちはだかる抵抗や障害に打ち勝つだけの体力や精神力も欠かせない。

ヒト・モノ・カネに恵まれ、十分な情報の下で改革ができることなどない。

「ないない尽くし」の中で、いかに成果をあげるかが仕事である。

困難さを乗り越えるからこそ価値が生まれるのである。


プロジェクトをやっていても、「べき論」の意見が結構多い

しかし、それは皆が無責任なのではなく、

議論に慣れていないのだ。

課題の本質、議論の本質をきちんと捉えて発言できるまでにはもう少し時間がかかるかな。


稚拙な表現だが、クリティカルシンキングが出来てない。

自分の考えを疑うことがどの程度深く出来るか?

自分も気をつけよう。


事業戦略においてのインプット次の一節


決算説明会等では

「私達が約束するのは、この数値を生み出す根拠となった施策である。

何をするのか、何を変えるのか。いつまでにやるのか。

そして、その通りにやれば結果もついてくる。

だから、数値よりも施策に注目して頂きたい。」

と説明していた。


まさにそうなのだ。

現在検討中の事業戦略、これにより出てくるであろう結果だけに目が行ってはいけない。

我々の手で立案した事業戦略を

着実に実行していく我々の決意・実行力こそが大きなチャレンジなのだ。


観てきましたよ。

なかなか面白かったです。

映画自体も面白かったけど、今の状況での学びがあったかな。


大将と将軍(軍曹)の違いを痛切に感じました。

ビジネスで言えばリーダーと兄貴分の違いかな


兄貴分というのは基本的に仲間である。仲間内の「長」という程度のものだ。

たとえば戦場で弟分たちと行動を共にし、「俺も突っ込むから、お前たちも一緒に突っ込んでくれ」

と、中ももろとも敵陣に戦を仕掛けるのが兄貴分である。


だが、リーダーは違う。

日露戦争における乃木将軍の如く、自分は幕舎の店との中で悠々と葉巻をくゆらせながら、

「今から203高地に突撃せよ」と命令する。

部下と生死を共にするのではなく、彼らの生殺与奪の権限を持ち、

作戦によっては「お前ら、死んでくれ」と、部下の命を奪うことができる存在なのだ。


ここでリーダーは大将、つまり劉備であり、曹操であり、孫権である。

兄貴分は関羽であり、張飛であり、周瑜である。


では、大将と軍曹の決定的な違いは何か?


それは、大きな志を持ち、自ら実行するものが大将なのでは無いだろうか?

他人の志に共鳴しても軍曹になれるが、大将にはなれないのだ。


軍曹に必要なスキルは、強さ、技術力、賢さ

大将に必要なのは、哲学、志、そして全体を俯瞰して将来を考える目では無いだろうか?


では、どうしたら大将が育つのだろうか?

後継者を育てるということは、後輩にスキルや志を伝達することではない。

自ら志を持ってもらえる環境をいかに整備するかではないだろうか?


その整備の仕方は難しい。


劉備亡き後、その後を守った孔明

彼は、やはり本物の大将には届かなかったのでは無いだろうか?


リーダーのスキルはいくら教えてもそれだけではリーダー足りえない。

自ら大きな志を持った時に初めて、リーダーの第一歩が始まるのでは無いだろうか。

商品の詳細


会社勤めの若者をはげます確かな指針 伊藤 禎 (単行本 - 2006/3)


プロジェクトの中で、どう後輩たちと接していくか?

そんな参考になるかな?と思って手に取ってみた。

まぁ、「確かな指針」というのは大袈裟だったかな。。。


気になったのは次の一節


たとえば、君がある部品の品質検査を担当していたとしよう。

抜き取りサンプルの検査で10項目中1項目の結果が不合格となった。

その部品は極めて需要が旺盛なある製品に使われていたので

不合格にすれば出荷に大きな穴があいてしまう。

生産管理部門からも出荷には絶対に穴をあけられないと強く言われており

生産ラインはフル生産で対応してきた。



こういう状況で、君が

「今日の部品は不合格です。」

と言えるか。



自分だったら言えるとみんな思うに違いない。

しかしこれを口に出した途端に、出荷を優先する部門から

不合格といってもギリギリとか、他のサンプルを採れば合格に違いないとか

検査の誤差範囲内だとか、他の人が検査をすれば合格になるだろうとか、

今までに不合格になったことがないとか

昨日と生産のやり方は何も変わっていないとか

数千万円の穴があくとか、ありとあらゆる抵抗にあうことになる。



それでも君が「今日の部品は不合格で使用できません」ということができるか。

これがここという場面なのだ。

周りを巻き込んで影響力を発揮するのが勇気なのだ。


若者との付き合い方の参考にはならなかったが、

今後事業戦略を進めていく上で

「あるべき姿」

を描き、実行しようとしたときに必ず同様の抵抗がある。


さて、その時にいかに性根を据えて、周りを巻き込んで影響力を発揮するか?

胆力が問われるなぁ。

あまりやりすぎて、自分が消えてしまったら元も子もない。

それをやり遂げるにも戦略が必要かな。。。

危なかった。。。正直負けると思った。。。でも勝って良かった。。。

まさに、試合に勝って勝負に負けた感じ。


最大のピンチは8Rだったのではないだろうか?

6Rのダウンは効いたものの、表情はしっかりとしていた。

しかし、8Rの右フックをもらって、かろうじてダウンを逃れた後は、試合終了寸前だった。

熊選手に連打かコンビネーションがあれば、たぶん8Rで試合は終わっていただろうなぁ。


その後の1分間で、完全にではないまでも、回復できたことが良かった。


12Rは逆に、内藤選手が挑戦者に相当のダメージを与えて終わったことは流石だった。

12Rは、あのタフな挑戦者の膝が明らかに硬直していた。


さて、今回のピンチの要因は何だろう?

僕は下記の3点と思う。


■もともと内藤選手は腕を下げたスタイルであり、顔面の防御が弱い

  

  変幻自在のパンチは顔面をガラ空き状態にして様々な角度からパンチを繰り出す。

  内藤選手はグローブでガードを固め、パーリング等でパンチを止める防御では無い。

  ステップでかわすか、頭を下げて上体を振ってパンチをよける防御である。


■内藤選手のボクシングが雑になってきている

  

  ここ2試合、内藤選手のパンチの精度は欠いており

  しかも大振りが目立っていてボクシングが雑になっていた

    

■挑戦者はいきなり振るフックは、踏み込みが鋭い


  体ごと飛び込んできて大きなフックをすばやいスピードで振ることにより、

  事前の察知が出来にくく防御の対応が遅れがちになった。

  

の要素により、6Rにパンチをもらってしまったのではないだろうか?


では、どうすれば良かったか?


2つのパターンが考えられる。


①丁寧に左をついて距離を保ちながら、相手が無理して入ってこようとするときにカウンターを打つ

 これは、後半に機能していたと思う。

 特に有効だったのが、カウンターのアッパー、左をボディに入れてから返しの右フック

 12Rに相手を効かせたのは後者のコンビネーション


②徹底的に距離をつぶした接近戦

 相手の強いパンチは、実は体ごと飛び込む力とフックの振りの相乗効果であると見た。

 ナジーム・ハメドのパンチがそうであった。

 であれば、思い切り体を密着した接近戦で、ボディからアッパーを交えたテンプルへの切り返しを多用する。


ただし、②は最後の最後の作戦で、順当には①だろうなぁ。



内藤選手、最後のインタビューでの喋り方を見る限り、相当なダメージとみた。

口の中が相当切れていのか?歯が折れているのか?それとも顎の骨折か?

無事であることを祈るのみ。


「きっと芽が出る人」の法則 (PHP文庫)/江口 克彦
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mixiの日記で、マイミクのあるカウンセラーの方の「幸せについて」の日記が心に響いて手に取った。

この方の記した幸せの考えと一緒かどうかは分からないが、

岐阜は高山の中村久子さんの話は何度読んでも強烈な印象を受ける。


幸福とはそれぞれの人が持って生まれた

人間的能力を100パーセント発揮すること、

発揮し「続ける」過程にある。


幼いころの病気がもとで両手両足を切断することになり

さらには父親が亡くなってしまう。

母親は再婚するが、再婚先ではその身体ゆえ屋根裏部屋へ隠されてしまう生活を送ったという。

お茶碗を持てないので直接口をつけてご飯を食べるので

「猫じゃ猫じゃ」といじめられてしまう。


屋根裏での生活をしながら何とか裁縫をしてみたいと考え

どんな工夫をしたのか想像もつかないがお手玉を縫い上げることが出来るようになる。

ところが、そのお手玉をあげた友達の母親は、

「唾だらけのお手玉は汚い」といって小川に捨ててしまった。

この時ほど手足が無いことを意識したことはなかったという。


ところが、そこで自分を奮い立たせ

唾が綱かいような裁縫を覚え、猫と言われないように箸を使ってご飯を食べられるように努力した。


満11歳の頃、急に失明するという不幸が重なる。

あまりにもみじめな娘の姿に、母親は泣き明かし

絶望して心中を決意し、久子さんを背負い飛騨山中の激流の川岸に立つ。

子供ながらに母親の決心を直感し

背中で「こわいよー」と久子さんが叫び、母親はとうとう死に切れなかった。


幸い、その後の手術で眼は見えるようになったそうだが

それから久子さんが何でも自分でできるように母親は厳しい躾をした。


その後、久子さんは自ら決意し

見世物小屋に行きひとりで生活をはじめ

「だるま娘」として巡業生活を送ったという。


昭和12年にヘレンケラーが日本に来て日比谷公会堂で講演した時、

久子さんは人の紹介でヘレンケラーと会見することが出来た。

そして自分で縫い上げた人形をプレゼントした。

通訳から久子さんの状態を聞き、

久子さんの体をなでて表情を少し変えたヘレンケラーは

抱擁し長い接吻をした後

「あなたこそ奇跡の人だ」

と言い、涙を流したそうでさる。


この久子さんが72歳の時にマスコミのインタビューで


「私の人生を振り返って、大変満足であり、幸福でした。」


と答えたという。


自分の持てる能力というものを、障害を通じて自分自身の手で引き出し続けたという満足感

天分を可能な限り発揮してきたのだという充実感が「幸せ」ということではないか?

そう著者は記している。

さてさて、肝心のヒアリングであるが、こんなことを思った。

ベンチマークやヒアリングは同業他社に行っているが、

単純な横比較で浅はかな戦略を構築してはいけない。

「横社会」と「縦社会」という概念

横社会はまさに、隣近所とか周辺諸国とか同業他社とかそういう横のつながりの社会

縦社会とは、過去・現在・未来とか、天界・現世・地界といったつながり

横社会では、当然、お隣さんよりも如何に優れているのか?ということが価値観の中心となる傾向が強い。

現在行っているヒアリングは、まさにこの部分が強い

しかし、縦社会においては、ご先祖様に対して立派な人生を送っているのか?とか

目に見えない神様に対して恥ずかしい行動をとっていないか?

ということが価値観の中心となってくる。

自分視点で見れば

過去に比較して自分は成長しているのであろうか?

ということが重要な価値観なのではないだろうか?


現在行っている事業戦略プロジェクト

この縦社会の概念がきちんと埋め込まれていなければ

御霊の入っていないお神輿になってしまう。