病気や事故などで障害を負ってしまい

病院にかかった場合、

そこのケアワーカーなどから、障害者が利用することのできる

いわゆる「社会資源」について教えてもらえることがあります。

 

 

そういった社会資源のなかに、

たとえば生活保護とか、障害年金といったものが

あるわけなんですね。

 

 

生活保護とか障害年金は

基本的には国などからお金をタダでもらえる制度です。

 

 

そこが、貸付などとは違うところなんですね。

 

 

タダでお金をもらえるために

障害を負った人などが

自分の生活を安定させたり、立て直したりするときに

非常に力強い武器になってくれるんです。

 

 

でも、当然のことながら、国としては

タダで国民にお金をあげるようなことが増えると

国家財政が悪化して、望ましくないですよね。

 

 

ですから、国としては

あまり積極的にこういった生活保護とか障害年金とかの

制度を広く周知していくことはないんです。

 

 

国としては、なるべくタダではお金をやりたくない。

 

 

いっぽう、国民としては

自分の生活を安定させるために、ぜひとも欲しいもの。

 

 

つまり、

国と国民の利益は相反する状態になっているんですよ。

 

 

だからこそ、わたしたちが

こういった生活保護とか障害年金とかを勝ち取るためには

「戦って勝ち取る」という認識が必要になるんですね。

 

 

国としては、できるだけ

タダで国民にお金をやるようなことはしたくないので、

あの手この手で受給させないような

嫌がらせをしてきます。

 

 

生活保護だと、なかなか申請を受け付けない

いわゆる「水際作戦」が自治体職員によって実施されることがあって

問題になったりしますよね。

 

 

障害年金でも、申請のためには

何十年も昔にかかった病院に連絡をとって、

もうカルテも残っていないかもしれないのに

その病院の診断書を書いてもらったりする

必要があったりするんです。

 

 

すべては、

国としてなんとかしてタダでお金を国民にやることを

阻止するための嫌がらせなんですね。

 

 

この世界には、

1つには国とか自治体とかいった

おおきな組織体が存在します。

 

 

そしてもう1つには、

そこで暮らすわたしたち1人1人という

個が存在するんですね。

 

 

組織体には組織体の都合とか事情があって、

個には個の都合とか事情とかがあります。

 

 

そのどちらも、

当事者にとっては重要なものなんですよ。

 

 

どっちかが優先される、とかいったようなものではないんです。

 

 

わたしたち、この社会に暮らす1人1人の人間は、

まずは自分の生活をなんとかすることが第一ですよね。

 

 

国や自治体といった大きな組織体の行く末を考える必要もありますが、

そういったことは、

その専門の職員が仕事として

けっこう高額なお給料をもらって

やってくれていることなんです。

 

 

わたしたち1人1人の人間が

仕事でもないのに常に国や自治体の未来を気にかけて、

さらには国や自治体の利益を優先して

自分たちの固有の利益を断念してしまうというのは

なんともおかしな話ですよね。

 

 

だからわたしたちは、

自分の生活を安定させるうえで必要があるときには

自信を持って、

生活保護とか障害年金とかを利用することを

考えていいと思うんですよ。

 

 

以前、自分が職業訓練を受けていたときには、

利用できる公的な制度として

貸付とかが講義で紹介されていましたが、

生活保護とか障害年金が紹介されることは

ありませんでした。

 

 

よくよく注意して見ると、

国とか自治体、公的な機関などは

なんとかして、生活保護とか障害年金とかいった

タダでお金をもらえる制度を国民に周知徹底するのを

避けようとする傾向があるんですね。

 

 

だからこそ、そういった有益な制度については

自分でしっかりと情報収集して、

執念深く勝ち取っていく必要があります。

 

 

国とか自治体、公的な機関などは、

タダで国民にお金をあたえる制度を利用されると

国家財政にとってマイナスになるので、

なんとかしてそれを避けようとします。

 

 

それが1つには、

そういった制度を利用するさいに

あの手この手で嫌がらせをする、利用しにくくする

といったことにあらわれてくるんですね。

 

 

もう1つ、彼らがやってくるのは、

就労をすすめる、という方法です。

 

 

生活保護を利用しようと相談に行くと、

でもあなた、就労できるんじゃないの?

と言われると思います。

 

 

病気とか事故とかで障害を負うようなことになると、

社会適応訓練事業(社適)とかいった事業をつうじて

なんとか就労に向かうように

ルートを作られることもあります。

 

 

それも考えてみれば当然のことで、

当事者が就労さえしてくれれば

国とか自治体としてはお金を出さなくてすむからなんですね。

 

 

でも、それは国とか自治体とかの都合です。

 

 

組織体のほうの論理なんですよ。

 

 

個の論理ではないんです。

 

 

大切なのは、あなたが本当に幸福になるのは

どのルートなのか、ということなんですね。

 

 

この世界では、

組織体と個が対立していることが多いです。

 

 

組織体は、個を犠牲にすることで

そのうえで組織体全体としての安定を図ります。

 

 

個は、自分自身の生存のために

なんとかして組織体から養分を引っ張ってこようとします。

 

 

これは、1つの戦いなんですよ。

 

 

自分は組織体側の人間なのか、それとも、

個の側の人間なのか。

 

 

よく自分を見極めてください。

 

 

この社会には、組織体の安定を図るために

組織体の都合で物事を考えるように促す装置がたくさんあります。

 

 

それらのいくつかは、道徳のかたちをとってもいるんですね。

 

 

そのような道徳を内面化してしまうと、ひとは

組織体の安定のために自分が犠牲になったり、

奉仕したりすることが素晴らしいことなんだ、必要なことなんだ、

と考えるようにもなります。

 

 

でもそれは、

個としての生存を希求する自分には

なんの役にも立ってくれません。

 

 

病院とかに通っていると、障害年金の本が置いてあることがありますが、

障害年金の案内のパンフレットが置いてあることは

少ないのではないでしょうか。

 

 

そのかわりに、就労しませんか、というパンフとか、

作業所のパンフとか、障害者雇用のパンフとかは

置いてあることが多いかと思います。

 

 

就労、作業所、障害者雇用、

それらはいずれも就労にみちびくルートです。

 

 

社会の中で就労して生き生きと輝くことが素晴らしいことなんだ、

というイメージをふんだんに盛っていると思うんですが、

それらは、国や自治体がお金を出さなくてもすむ

ルートなんですね。

 

 

だからこそ、国や自治体、公的な機関などは

そういったルートのほうを一生懸命、推奨するんですよ。

 

 

でも、本当に大切なのは

自分が幸福になれるのかどうか、ということであるはずです。

 

 

障害によって労働能力が70%にまで落ちこんでいる場合、

障害をクローズにして通常の就労をすると、

相手の企業はこちらのことを100%の労働能力があると考えて

仕事を振ってくるので、

その30%のギャップに自分が苦しむことになる

可能性が高いと思います。

 

 

自分はちゃんと働ける、

障害年金を受給するなんて世間に対して申し訳ない、

なんて思って受給を辞退していると、

そのような苦しみを自分自身が引き受けることになるんですね。

 

 

それとは反対に、

障害年金を受給しなくても、自分さえ我慢すればなんとか働ける、

という状況であったとしても、

それでも障害年金を受給するようにすれば、

70%にまで落ちた自分の労働能力と、

障害年金を受給しているという状況の「差」は、

こんどは自分のほうに快適さという

利益をもたらしてくれることになります。

 

 

自分の労働能力が70%にまで落ちた場合、

100%の仕事を押し付けられて

その30%の差が自分に不利に働いて

苦しむのは自分なんですね。

 

 

反対に、

自分の労働能力が70%にまで落ちた場合に、

無理して自分が苦しめば100%の仕事はできるけれども、

あえてそれをしないで障害年金を受給することにより

まったく働かなくてもすむような状況になった場合、

こんどは70%と0%のあいだの差である70%は、

自分の快適さとして自分が享受する利益になるわけなんです。

 

 

そこのところを、よく考えてほしいんですね。

 

 

無理して自分が就労することによって

障害年金を使うことがなかったとしたら、

お金を出さなくてすむために喜ぶのは

国や自治体です。

 

 

それは、あなた自身の利益ではないんですよ。

 

 

自分自身が幸福になるために、どういう手段を使えるのか、

勇気と自信をもって判断してほしいと思います。