ワンオペ家事育児というのが問題になっているそうです。

 

 

 

つい最近も、牛丼屋チェーンのすき家で、

早朝からワンオペ業務を担当していた女性従業員が

急死するという痛ましい事件が発生し、

それを受けてすき家は業務の見直しをすすめると発表しました。

 

 

 

会社での就業だけでなく、家庭においても

ワンオペ体制というのは

それに従事する人間に多大な負担をかけるものです。

 

家事や育児にかんしても、

手伝ってくれたり肩代わりしてくれたりする要員が存在せず、

事実上自分ひとりでこなさなければならないような状況が続けば、

やがては疲労困憊してしまうことは間違いないでしょう。

 

 

 

しかし、このワンオペ家事育児。

 

 

 

自分は疑問に思うこともあるのです。

 

 

 

「ワンオペ家事」とか「ワンオペ育児」といった言葉は、

最近になってさかんにメディアなどで取り上げられるように

なってきました。

 

逆に言うと、

以前はそんなに注目されるような現象でもなかったわけなんです。

 

 

 

これはいったい、どういうわけなのでしょうか?

 

 

 

考えられる原因としては、2つの可能性があります。

 

 

 

1つ目は、

以前はワンオペ家事育児という現象が存在していなかったために

話題にのぼらなかった、というもの。

 

2つ目は、

以前からワンオペ家事育児という現象は存在していたけれど

最近になってことさらに問題視されるようになってきた、というもの。

 

 

 

そのそれぞれについて、考えてみることにしましょう。

 

 

 

まず1つ目の可能性である、

以前はワンオペ家事育児という現象は存在していなかった、

という場合について。

 

 

 

この場合には、なぜ以前にはそうした現象は存在していなかったんだろう?

という点が素朴な疑問として浮上してきます。

 

 

 

たとえば、昭和のお父さんたちはいまのお父さんたちよりも

家事育児に積極的で、

現在よりも妻に協力的であったために妻の負担が少なく、

結果的にワンオペ家事育児という状況は発生しなかった、

のでしょうか?

 

 

 

自分は、そういう可能性はあんまりないんじゃないかなあ、

なんて思うんです。

 

 

 

昭和のお父さんはそれこそモーレツ社員であった可能性が高く、

家庭のことは今よりももっと

専業主婦であった妻に丸投げであった可能性が高いでしょう。

 

また、亭主関白的な父親もそれなりに多かったのではないでしょうか。

 

 

 

なので、昭和のお父さんたちが家事育児に対して

いまよりも協力的であったがためにワンオペ家事育児という

問題は発生していなかった、

という可能性は低そうです。

 

 

 

ではもしかりに、

昔のほうが現在よりもワンオペ家事育児という問題が発生する

場合が少なかったのだとしたら、

そこにはどういう理由が存在したと考えられるでしょうか?

 

 

 

それについて考えるさいに、まず想起されるのは、

核家族化の進展です。

 

 

 

終戦直後から昭和の時代がすすみ、だんだんと

平成へと時代が移り変わっていく中で、

家族のスタイルというのも様変わりしていきました。

 

初期には、

夫婦と子供、そして旦那さんのご両親が同居するという

大家族が基本形だったかもしれませんが、

それがだんだんと

サラリーマンの夫と専業主婦である妻、

それにその子供だけが同居するという

核家族が主流になっていったのです。

 

 

 

大家族であれば、女性が家事育児をするさいにも

旦那さんのご両親、つまりは姑とか舅とかが

手助けに入れる余地があり、

そのためにワンオペ家事育児が発生しにくいということは

十分に考えられることなんですね。

 

 

 

ただ、この考え方はフェミにはおそらく不評だと思います。

 

というのは、

核家族化の進展によって妻が「家」というものから解放され、

姑などの圧力を受けずにすむようになったことは

女性にとっての大きな勝利であると考えるからで、

実際には姑などの助力によって自分が助けられることもあった、

なんていうのは、認めたくはない「不都合な真実」であるからです。

 

 

 

そこで、そういう場合にフェミが

そういった認めたくはない真実を糊塗するために

どういう論法を用いるのかというと、

「地域社会の援助」をことさらに強調する、という方法をとるのですね。

 

 

 

つまり、昔の社会で女性たちがワンオペ家事育児に

忙殺されることがなかったのは、

地域のおばちゃんやおっちゃんとかが助けに入ってくれたからであって、

けっして姑や舅に助けられたからではない!

と主張するわけなのです。

 

 

 

たしかにそれも一理はあるでしょう。

昔の社会は現在の社会とくらべて、

地域共同体のつながりはもっと密なものだった、

と考えることもできるからです。

 

 

 

しかし、地域共同体の存在があったとしても、

それだけで理由のすべてを説明することは

むずかしいのではないでしょうか?

 

 

 

現代社会でこそ、結婚というのは個人と個人の結びつきであると意識され、

女性が結婚相手の男性の「家」に入る、というような考え方は

希薄になってきています。

 

 

 

しかし、ほんの数十年前までの日本社会では、

結婚というのは厳然と家と家との結びつきであって、

サザエさん一家のように

女性側の家族に男性が婿入りするというような例も

なかにはあったでしょうが、

基本的には、女性が相手の男性の家に「嫁ぐ」という事例が

非常に多かったものと推察されます。

 

 

 

となるとやはり、家事や育児にかんしても

姑を中心とした相手側の男性の家族の助言や助力、指導などがあって

そのためにワンオペ家事育児という負担をまぬかれていた、

というような側面もあったのではないでしょうか。

 

 

 

そのように自分は考えています。

 

 

 

では、ワンオペ育児家事が最近頻繁に取りざたされるようになってきた

理由についてのもう1つの可能性、つまり

ワンオペ家事育児は以前から存在していたのに

最近ことさらに問題視されるようになってきたのだ、

という可能性について考えてみましょう。

 

 

 

これについては、2つの側面があると思います。

 

 

 

まず第一に、最近の家庭では夫も妻も両方ともが

外に仕事にでているという、共働きの家庭がふえています。

 

妻の仕事について言えば、それは1日あたり4時間程度の

パートである可能性も少なくないとは思いますが、それでも、

専業主婦をやっていたときに比べると、

家事や育児にたいして女性が心理的、主観的に感じる負担感というのは

以前よりも格段に大きくなっている可能性が高く、

そのためにワンオペ家事育児にたいする不満が噴出している、

とみることもできそうです。

 

 

 

もう1つは、

ワンオペ家事育児の実質的な負担は従前とさほど変わっていないけれど、

女性たちがみずからの権利をより強く主張するようになった、

という可能性です。

 

このことは、2018年ごろからはじまったMeToo運動の高まりとか、

kutoo運動などにも見ることができ、

さらにはマスコミや行政なんかもそういった女性の動きを応援する

ことが多くて、

その結果として火に油を注ぐようなことにもなっているとも言えそうです。

 

 

 

ワンオペ家事育児の問題。

 

 

 

それが最近声高に主張されるようになってきた背景には、

いろんな事情があるようです。