せんぱい♀は「學姊(xuéjiě)」か「學姐(xuéjiě)」か問題 | 台湾華語と台湾語、 ときどき台湾ひとり旅

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台湾の中国語でお姉さんは「姐」なのか「姊」なのか。読み方は「jiě/ㄐㄧㄝˇ」なのか「zǐ/ㄗˇ」なのか。という話、一つにまとめました。

中国で或いは日本で中国語を習った方にはおそらく違和感たっぷりの、「學姊(xuéjiě)」という漢字。なぜなら中国の「普通話」で「姊」は「zǐ」としか読まないし、お姉ちゃんは「姐姐(iějie)」としか書かないから。

でも台湾では普通に書きます、「學姊(xuéjiě)」も「姊姊(jiějie)」も。そしてタイトルの、せんぱい♀は「學姊(xuéjiě)」か「學姐(xuéjiě)」か。という問いにはとりあえず「學姊(xuéjiě)」だと答えておきましょう。




ただ実は「どっちでもいい」というのがホントのところ。正確には「まだはっきり決まっていない」というのがいいかもしれません。ドラマの字幕でも「姊」と「姐」、ばりばり混在してます。ジェリー様の『就想賴著妳(君には絶対恋してない!)』、中国語字幕でぜひご覧になってください。(ただし台湾での話です。「普通話」の規範はハッキリ「姐(jiě)」なので、HSKなどの検定試験など受けられるときはくれぐれも注意してください!)





そして今まで幾度となく申してきておりますが、これは決して「間違い」ではありません。台湾では「姊」は「jiě」も「zǐ」も正式な読み方。そう、台湾には台湾の中国語の規範というものがあり、大陸の「普通話」と違うからといって「間違い」ではないのです。そして大陸の民国時代から続く「伝統」を踏襲したものが多いのが台湾の規範の特徴です。

「姊(jiě)」もその例にもれず、1930年代に編纂された『國語辭典』でも「姉」を表す語には「姊(jiě)」が使われています。「姊妹(jiěmèi)」や「姊姊(jiějie)」や「姊夫(jiěfū)」や…。(ただし女性の呼称「小姐」や「大姐」は例外。)

そして台湾の『國語日報辭典』(2011年版)でも同じで、「姊妹(jiěmèi)」だし、「姊姊(jiějie)」だし「姊夫(jiěfū)」です。(ただし女性の呼称は「小姐」や「大姐」で、「しまいこう」や「しまいとし」のときは「姊妹校(zǐmèixiào)」や「姊妹市(zǐmèishì)」とされている。)

 

ですが現在、台湾の小学校の「国語」教科書ではお姉ちゃんのことは大陸と同じように「姐姐(jiějie)」となっています。これは一字多音字を整理しようとした動きの中ででてきた現象。その話をめちゃめちゃざっくりすると…

一つの漢字にいくつか読み方のある漢字、一字多音字について今もうぐっちゃぐちゃになっとるし、大陸の読み方との関係もあるし、どうにか整理せんといかん、ということになった台湾ではなんだかんだあって1999年に『一字多音審訂表』というのが発表され、これからはこういう読み方でいくよ、教科書はこれに従ってね、民間の辞書やマスコミさんもなるたけこれに従ってね。というおふれが出されました。

でもこれまでの慣習をバッサリ切り捨てるような大胆な変更もあって現場は大混乱。例えば「歌仔戲」は長いこと中国語では「ㄍㄜㄗㄞˇㄒㄧˋ/gēzǎixì」と読まれていたのだが(台湾語ではkua-á-hì/ゴアヒ)、その「仔」をこれからは「ㄗˇ/zǐ」に統一しちゃうよ。とか。そんな大胆なのがいくつかありました。

「姊」→「姐」問題もその一つで、物議をかもしました。これまで台湾ではsisterの意味の時の「ㄐㄧㄝˇ/jiě」はふつう「姊」が使われてきたけれど、それを今後は「姐」に統一して、「姊」は「ㄗˇ/zǐ」とだけ読みましょう…ということになったのだ。整理すると

 1)「姊妹市」、「姊妹校」などのときは「ㄗˇㄇㄟˋ/zǐmèi」~と読む。
 

2)これまで書いてきた「姊姊」「姊夫」などのときは読みはそのまま「ㄐㄧㄝˇ/jiě」だが、漢字は「姐」に変更する。

これに対してもちろん抵抗も反発もあったのですが、とりあえず決まったことは仕方ないので公教育の「国語」教科書は『一字多音審訂表』に準拠して「お姉ちゃん」は「姐姐」と書かれるようになった…ということです。

でもこの先も規範(決まり)の変更は大いにありうるし、今後どうなるかは不透明。言葉の規範は、おかみが決めたルールと、我々民衆の実際の運用とのせめぎ合い。最初は「間違い」と言われていた使い方でもみんながそういう風に使うようになったらおかみも認めざるを得なくなり、そっちが「正しい」使い方になっていくこともあるしならないこともある・・・ということですね。まさに

像極了愛情