【スウェーデンのお茶室が教えてくれたこと①】 

〜「瑞暉亭ZUI-KI-TEI」の歴史を紐解く〜


スウェーデンの首都ストックホルム。

バルト海とメーラレン湖に囲まれ、北欧のベニスと呼ばれる水辺の美しい街。

そのストックホルムに本格的な日本のお茶室が建っていることは、あまり知られていない。

ストックホルムの国立民族学博物館の敷地に建っているこのお茶室「瑞暉亭ZUI-KI-TEI」は、じつは二代目で、初代は1935年(昭和10年)に日本から職人とともに海を渡り、ストックホルムに建てられたものである。

「瑞暉亭」の名は、当時日本スウェーデン協会の会頭であられた秩父宮殿下より賜ったもので、「瑞」は吉兆を表すとともにスウェーデンを表し、「暉」は輝きを表すとともに日いづる国、日本を表しており、スウェーデンと日本の友好関係が長く続くように願いを込めて名付けられた。

ジャポニズムの風が吹くヨーロッパにおいて、日本の茶室建設は、大いに現地の人たちの注目を浴びたと聞く。また北欧モダニズムの建築家たちにも影響を与えたとも言われている。

しかし、スウェーデンと日本の友好のシンボルと言われていた初代「瑞暉亭」は、残念ながら1969年に不審火により焼失してしまった。

再び「瑞暉亭」が姿を現すのは、約20年後の1990年であった。初代「瑞暉亭」の関係者の子孫たちが立ち上がったのである。

私が「瑞暉亭」に関わり始めた2013年には、この二代目の「瑞暉亭」に不具合が散見されるようになっていて、修復が急がれた。

2015年の修復工事までは、ただただ夢中で目の前のことをこなすだけで精一杯であったが、修復工事を終えたあと、少しずつ「瑞暉亭」の歴史を調べ始め、このお茶室に込められた両国関係者の情熱と努力を知ることとなった。

初代「瑞暉亭」の歴史を紐解くと、幕末にまで遡ることになる。

開国まもない日本へ向かうスウェーデンの青年の話から始まる。
(詳しい話はいずれどこかで・・)

その青年に嫁ぎ、30年以上の長きにわたり日本に滞在したスウェーデン人女性が、初代「瑞暉亭」建設の発案者イーダ・トロッツィグである。

文明開化が叫ばれ、西欧化を急ぐ明治から大正にかけての日本において、その流れに逆らうかのように日本文化に傾倒していったイーダ。おそらく、日本文化が置き去りにされていることを憂いていたのではないか?と推察する。日本文化を愛し、茶の湯、いけ花などを身につけ、日本で夫を看取ったあと、スウェーデンに帰国した。

晩年は母国スウェーデンにおいて、日本文化の普及に情熱を注ぎ、茶室建設のために精力的に活動したイーダ。

彼女のその情熱はどこから来ているのであろうか?

その情熱の源、そして私がスウェーデンで、幾度となく言われた「日本文化の素晴らしさを伝えていきなさい」という言葉の意味。

それらを噛み締め、消化するのに長い時間を要したが、ようやく今、1つの理解に達した。

「日本人は世界に誇れる日本文化の素晴らしさを本当には理解できていないのではないのか?」

「日本は西欧から学ぼうとするばかりで、日本文化を世界へ伝えることを怠っているのではないのか?」

「自国の文化に誇りを持ち、それを伝えることができる、それこそが他国と対等に渡り合える本物の国際人ではないのか?」

そんなことを、イーダは今、我々日本人に伝えてくれているのではないか?と考えるようになった。

私がこのお茶室「瑞暉亭」に関わることになったことの意味は、このイーダの想いを代弁していくことなのかもしれない・・

この「瑞暉亭」に秘められた想いを次世代に繋ぐことが私の使命であろう、と感じながら、瑞暉亭の保存活動の在り方をシフトさせることにした。

〜瑞暉亭のホームページを準備中です〜
 


スウェーデンのお茶室が教えてくれたこと③ 




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